ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Halldór Laxness の “Independent People”(1)

 きのう、アイスランドノーベル賞作家、Halldór Laxness の "Independent People" を読了。アイスランド語原書の第一部は1934年刊、第二部は1935年刊。英訳合冊版は1946年刊で、Laxness は1955年にノーベル賞を受賞。さっそくレビューを書いておこう。 

[☆☆☆☆★] 人間に自由など、独立などありはしない。あるのはただ、自由であろうとする自由、独立不羈であろうとする独立心だけだ。その不自由を、隷属を真に自覚したひとがはじめて自由人であり「独立の民」なのだ。と、さような自由と独立の二重性をラックスネスが意識していたかどうかは怪しい。が、少なくともここには自由の限界に挑みつづけた男の物語があり、独立の民たらんとするその男ビャルトゥルの悪戦苦闘ぶりに、ラックスネスがアイスランド近現代史、さらには千年の歴史を重ねあわせていることは明らかである。国民文学の傑作たるゆえんである。第一次大戦前後、羊飼いの農夫ビャルトゥルの前に立ちはだかったのは、美しいが厳しい自然、飢饉、貧困、近代化の波、大戦によるバブル経済とその崩壊、資本主義の原理、社会主義の嵐、そしてなにより敵対する人びと。地主や豪農はもちろん、時には家族も敵となる点が特筆ものである。夫の方針に異を唱えて凄絶な死をとげるふたりの妻、父親を愛しながらも私生児を宿す娘、空想癖が高じてアメリカに渡る三男、同じく渡米を夢見ながら地主の娘と恋に落ちる次男。それぞれのエピソードに強烈な迫力や魅力がありストーリーテリングも巧妙で、思わず引きこまれる。ビャルトゥルにとって農場経営はアイスランドの歴史と伝統、自由と独立を守るための「世界戦争」であり、家族愛は二の次三の次、恋愛感情さえも斬り捨てる非情さには驚くばかり。反面、彼はおのが限界を自覚し、世界を支配する力を直観。良心の呵責にさいなまれ、心底では家族と結びついている。こうした孤高のヒーローが上の戦争だけでなく、実際の世界大戦の渦に巻きこまれ、挫折を余儀なくされるところにアイスランド近代の宿命がある。精神の自由より物質の自由に重きをおく傾向が認められ、また後半、尻切れトンボの逸話がつづく瑕瑾もあるものの、現代人の精読に耐える名作であることに疑いの余地はない。