ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Jeffrey Eugenides の “Middlesex”(2)

 これも長年の宿題だった。"The Amazing Adventures ...." や "The Corrections" ほどではないにしろやはり大作で、昔のピューリツァー賞受賞作(2003)。ぼくにとっていちばん積ん読になりやすいパターンだ。現代文学の場合、リアルタイムで読まなかった分厚くて有名な本ほど敬遠したくなる。不精なあまのじゃく、というわけだ。
 今回ようやく重い腰を上げ、いざレビューをでっち上げるとき、主人公 Calliope の日本語表記を知りたかったので検索したところ、邦訳(2004)はまだ文庫化されていないようだ。世評が高いわりに、あまり売れなかったのかな。
 もし売れ行きが実際、出版社の思惑どおりでなかったのだとすれば、むべなるかな。ピューリツァー賞受賞作だからといって、べつに大騒ぎするほどの出来ではない、というのが率直な感想だ。三冊つづけて大作を読んでみたが、これがいちばんピンとこなかった。Eugenides のものでは、2011年の全米批評家協会賞最終候補作、"The Marriage Plot" のほうがはるかに面白い(☆☆☆☆★)。 

 期待が大きすぎたのかもしれない。まずタイトルがいい。Middlesex がデトロイト近郊の Middlesex Boulevard を指していることは途中でわかる(p.258)。実在の街かどうかは未確認だが、もしかして「中性」の意かも、とぼくのような一般読者なら当然期待するはずだ。作者もそう計算したのではないか。
 書き出しがかなり魅力的であることも、その期待をふくらませる大きな要因だ。I was born twice: first, as a baby girl, .... and then again, as a teenage boy, ....(p.3)これとタイトルを合わせれば、おや、本書はジェンダー、それもトランスジェンダーがテーマのSFか、とでも思いたくなるのがふつうだろう。「そこから当然、ふたつの興味が生まれる。まず、どうしてそんな奇跡が起きたのか。つぎに、その奇跡にはどんな意味があるのか」。
 そんな興味で読み進むと、意外にもジェンダーの問題は二の次であり、むしろ歴史小説や恋愛小説、青春小説、家庭小説など、いろいろな要素を盛り込んだファミリー・サーガとなっている。たしかに面白い。しかしファミリー・サーガというだけなら、もっともっと面白い本がほかにあったように思う(不精者につき、過去記事は未検索)。これはやはり、二の次ながらジェンダーがらみという点が異色であり、売りなのではという気がする。
 そのセールスポイントをめぐっても、「奇跡の起きたプロセスについてはよく書けているが、それを知ったからといって読者の人生が豊かになるわけではない」。むろん豊かになったと感じるひともいるだろうが、.... my family found that, contrary to popular opinion, gender was not all that important. My change from girl to boy was far less dramatic than the distance anybody travels from infancy to adulthood. In most ways I remained the person I'd always been.(p.520)こんな記述を読むと、ごく平凡な結論ですな。それどころか、昨今かまびすしいトランスジェンダー擁護論からすれば、gender is not all that important とはけしからん、ということになり、今だったらピューリツァー賞も穫れないのではないかしらん。
 In most ways I remained the person I'd always been とはアイデンティティの問題である。ぼくはこの点を踏まえ、アップしたレビューの初稿「(ジェンダーは)それほど掘り下げようがないことを、図らずも露呈」から、「ジェンダーの確認がアイデンティティの確認にいたるにしても、それ以上に掘り下げようがないことを」と訂正した。しかしその後、ジェンダーの背景には伝統や文化の問題があることを思い出し、現在のような文言に再度訂正。とはいえ、拙文はいくら直しても名文にはなりませんな。

(下のCDは「英雄」を聴きたくて最近買ったものだが、モーツァルトの40番がいちばんよかった)