ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Rachel Cusk の “Second Place”(1)

 今年のブッカー賞一次候補作、Rachel Cusk の "Second Place"(2021)を読了。さっそくレビューを書いておこう。 

[☆☆☆★★] ふつう小説では、どの人物にも身分や職業、おかれた状況といった外枠があり、そこに感情や心理、性格、人生観や価値観など中核部分が盛りこまれる。そしてそれぞれの外枠から人物関係が生じ、各人の中核から関係の実態が明らかになる。本書の場合、外枠については従来の小説作法にほぼのっとっている。ある沼沢地で夫と静かに暮らす中年女性Mが、若いころパリの画廊で目にした高名な画家Lの作品に衝撃をうけた思い出が忘れられず、Lを自宅に招待。Lはしばらく敷地内の別棟のコテージに滞在する。ここで斬新なのは、人物の中核および人物関係の実態である。MはLをはじめ、夫や娘、Lの連れの女たちとのふれあいについて書簡形式で綴るのだが、彼女は終始一貫、自分の内面に深く分けいって魂の奥底を見つめ、それと同時に、いわば心の目で他人の存在とその意味、自分との関係とその意味を認識しようとする。こうしたアイデンティティ、およびそれを形成する一部としての他者の確認作業は心理分析にとどまらず、しばしば哲学的もしくは疑似哲学的な思索へと発展。読者はまるで観念の森をさまようかのように、Mの抽象的な魂の彷徨につきあうこととなる。それが彷徨だけに、論理的な脈絡があやふやな場合もあり説明不足。冒頭で述べられた悪魔が正体不明のままおわる点もいただけない。とはいえ、Lはすこぶる強烈な自我の持ち主であり、その個性に存在の基盤を震撼させられたMが、Lと自分のあるがままの姿を、ひいては人生と芸術の真実を動的、直感的にとらえようと悪戦苦闘した結果としては、これは一貫性のある正直な告白録といえよう。なお、著者自身の後注によれば、LのモデルはD・H・ロレンスとのこと。芸術の巨匠と接した凡人は、かくも人生を左右されるということだろうか。