今年ももうあと3ヵ月足らず。年始にぼんやり立てた読書計画の狂いが気になってきた。2000年以降の有名な作品、それもなるべく大作巨編を片づける、というのが目標のひとつだったのだけど、2月から4月にかけて、"The Amazing Adventures of Kavalier & Clay"(2000)など4冊読んだところで挫折。ぶ厚いステーキはたまに食べるもの、と遅まきながら気がついた。
同書のように2000年代前半の作品群のほか、今世紀の文学ではもうひとつ、ぼくには積ん読の山がある。諸般の事情で本ブログを休止していた2014年前後のもので、こちらは今年いままで、大作といえるのは "Orenda"(2013)しか読んでいなかった。そこでやおら取りかかったのが表題作(2013)というわけである。ご存じ2014年のピューリツァー賞受賞作だから、周回遅れもいいところですな。
Donna Tartt を読んだのは5年ぶり、2冊目だ。
この "The Secret History"(1992)は、"The Goldfinch" が出るまで長らく Donna Tartt の代表作だった。そこで本ブログを再開したとき、どちらから手をつけるか迷ったのだけど、とりあえず長年の宿題のほうを先に片づけることにした。これがいけなかった。
同書はかの Michiko Kakutani 女史も激賞するなど大評判、さぞ面白いだろうと期待したら当てはずれ(☆☆☆)。Donna Tartt はどうも深みに欠ける作家なのでは、という印象が生まれ、おかげでこんどは "The Goldfinch" が宿題になってしまった。
さてこれは、いまさら内容を紹介するまでもない超話題作なので、ここでは "The Secret History" との比較だけにとどめておこう。まず両書とも、ざっくりいって〈青春犯罪小説〉だけど、圧倒的に "The Goldfinch" のほうが面白い。Donna Tartt は寡作家で、いまのところ長編は3作しかものしていないが、処女作の "The Secret History" から約20年のあいだに、ストーリーテリングの点で明らかに格段の進歩をとげている。
肝腎の文学的な深みはどうか。"The Goldfinch" の幕切れにこんなくだりがある。And just as music is the space between notes, just as the stars are beautiful because of the space between them, .... so the space where I exist, and want to keep existing, and to be quite frank I hope I die in, is exactly this middle distance: where despair struck pure otherness and created something sublime.(p.863)
ぼくはこれを読み、ほかの箇所も勘案してこうまとめた。「作者は(中略)愛と人生、芸術におけるあいまいな『中間領域』へと踏みこんでいく。たしかに深みは増しているが、べつに瞠目するほどの内容ではない」。
というか、とりわけ波瀾万丈の前半との整合性に欠ける内容で、最後にこれほど考え込まなくてもよかったのに、と思ったものだ。そこで連想したのが "Anna Karenina"。
あれこそ物語的にムチャクチャ面白い小説なのだが、グレタ・ガルボ主演映画のほうが、あの鉄道駅のシーンでおわるのは正解。そのあと原作ではじまる哲学的な思索は、映像では表現しにくいものだからだ。
そういえば、『戦争と平和』もそんな構成でしたね。こちらは英訳で読んだことがないので断定は避けるが、あの最終部分は高校生だったぼくにはえらく難解で、とにかくむずかしい、という印象が強烈にのこっている。それでも、本編の内容との整合性があることだけは理解できた。それが "Anna Karenina" となると、Levin の思索は整合性があるだけでなく知的な意味で面白かった。
その点、"The Goldfinch" における主人公 Theo の思索は、極論すれば重苦しいだけ。Donna Tartt は文芸娯楽小説として仕上げることを「安易な解決」として嫌ったのでは、というのがぼくの推測だけど、「いっそ、娯楽路線に徹してもよかったのではないか」と思います。