ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Patrick Modiano の “The Black Notebook”(2)

 諸般の事情でしばらくデスクから離れていたが、最近になってやっと、ボチボチ Orhan Pamuk の "The Black Book"(原作1990, 英訳2006)を読んでいる。なかなか面白い。
 Pamuk は2006年にノーベル文学賞を受賞。その直後に本書の英訳版も刊行されたものと思われる。
 当時ぼくは受賞のニュースを知り、さっそく何冊か入手したものの積ん読。数年後、勤務先の大先輩のお宅を訪問したおり、辞めてから読んだ作家のひとりが Orhan Pamuk とうかがった。以来ずっと気になっていたが、実際に作品に接したのはぼく自身退職してから。今回で5冊目である。Pamuk を読むたびに亡き先輩の笑顔が浮かんでくる。
 本書を手に取ったのは表題作つながり。タイトルが似ているからだ。それにこのところ、寝床のなかでは、『黒革の手帖』ではないが清張ミステリを読みかえしている。黒つながり、といったほうが正確かもしれない。
 清張作品のほうは、中身はすっかり忘れてしまったけれど、たぶん純粋な娯楽ミステリだろう。"The Black Book" にもミステリの色彩があり、イスタンブール在住の弁護士 Galip の妻 Rüya が突然、別れの手紙をのこして失踪。その行方を追ううち、彼女の異母兄で有名な新聞コラムニスト Celal も姿を消してしまう。ふたりは同じ場所に潜んでいるのか、それとも Rüya は前夫のもとに?
 一方、Modiano の "The Black Notebook" は、3冊のなかではいちばんミステリ味が薄いようだ。それどころか、いままで読んだ Modiano 作品(本書で9冊目)のなかでもいちばん薄い。おかげでモディアノ中毒患者のぼくも、さすがに途中で飽きてしまった。それでも飽きないのが本物の中毒患者なのかも。
 ともあれ Modiano 節をいくつか拾ってみよう。The moment I walked past the large, dirty, white-and-beige building at II Rue d'Odessa .... I felt something click, the slight dizziness that seizes you whenever time splits open. I stood frozen, ....(p.3)Last night, I traced on the map, with my index finger, the route from Paris to Feuilleuse. I traveled back in time. The present no longer counted, ....(p.28)Today I'm no longer afraid of that notebook. It helps me to "scan my past," and that expression makes me smile. .... The past? No, it's not about the past, but about episodes in a timeless, idealized life, which I wrest page by page from my drab current existence to give it some light and shadow.(p.35)
 こうしたくだりにうっとりするうち、いつのまにかフィルム・ノワールの世界に引きこまれてしまう、というのがいつものパターンなのだけれど、今回は事件そのものが単純すぎて乗れなかった。サスペンス味に乏しく、なにより定番の戦争の影がないため深みに欠ける。事件の謎に「歴史の闇が重なっていない点が不満。モディアノの、モディアノによる、モディアノ中毒患者のための作品である」。
 とはいえ、これがもし現地ファンだったら、たとえば上の引用箇所に出てくる地名などを目にしたとたん、ああ、あそこか、と俄然興味が湧き、事件にもぐっと惹かれることだろう。そのへんが東洋の島国の読者にはツラいところですな。

(写真は2年前の夏、パリを旅行したときに撮影。どこかは忘れたが有名なカフェがあったはず)

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