いま、なにをなすべきなのか。
この質問を前回自分に投げかけてから、無い知恵を必死に絞ってみた。たまたま1年近く前、"Homage to Catalonia"(1938 ☆☆☆☆★★)を英語版で読みかえしたことを思い出し、もし George Orwell が現存の作家だったらどうするか考えてみた。
答えは明らかだろう。がしかし、前期高齢者のぼくには Orwell のような行動力がない。実際できることがあるとしたら、ウクライナに義援金を送ることしかないだろう。
ぼくの素人予想に反してウクライナ側は善戦しているものの、予断を許さない事態であることには変わりない。最悪の場合、多くの市民が犠牲になることも十分ありうる。しかし一方、ベルリンの壁崩壊やルーマニア革命、そしてソ連崩壊のときのように、うねるような大きな国民運動の盛り上がりがあってこそ初めて、事態は収束へと向かうのかもしれない。最後にものを言うのは一般市民の力だと思う。それを信じるしかない。
けさのTV番組で元大阪府知事は、ウクライナで発令された国家総動員令に反対し、非戦闘員が国外へ逃げる自由を与えるべきだ、というむねの発言をしていた。法理論的には正しいのかもしれないが、闘うことを決意してウクライナに帰国している人びとがそれを聞いたら、どう思うだろう。
非常時、切羽のさいには自由が制限されるのがふつうの国家のありかただ。第二次大戦中のフランスでも、レジスタンス運動の闘士もいればナチスへの協力者もいた。どちらの立場も権利として選択の自由を認める、というのは平和な国の法律家の理論にすぎない。自由は闘って守るもの、というのが現実に血を流して自由を自力で勝ちとってきた人びとの経験則だ。その痛みが骨身にしみているからこそ、ウクライナには国家総動員令が存在するのだろう。その是非を問う資格は、平和な国の法律家にはない。
などと、いろいろ考えた末、ぼくはウクライナ大使館に義援金を送ることにしました。
(三菱UFJ銀行 広尾支店 047 普通預金 口座番号0972597 エンバシーオブウクライナ)
ウクライナ大使館:japan.mfa.gov.ua