ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Antonio Tabucchi の “Indian Nocturne”(2)

『インド夜想曲』。なんと蠱惑的なタイトルだろう! そう思って、ほかに目についた作品ともども、英訳版を買い求めたのはずいぶん昔の話。以来、Tabucchi のことはずっと気になっていた。
 その積ん読の4冊をやおら書棚から取り出したのは先月なかば。Faulkner の "Requiem for a Nun" がえらくしんどかったので、ちょっと息抜きをしたかった。そういえばイタリアの作家、しばらくごぶさたでした。

 というわけで読んでみたこの "Indian Nocturne"(原作1984, 英訳1988)、まさにタイトルから連想されるとおり、うっとりするようなシーンの連続だった。一例を挙げておこう。The bus crossed an empty plain with just the occasional sleeping village. After a stretch of road through the hills with hairpin bends that the driver had tackled with a nonchalance I felt was excessive, we were now speeding along enormously long straight quiet roads through the silence of the Indian night.(p.46)
 夜想曲というだけあって、「ボンベイからゴアの海辺の町まで十二日間の旅で、男は不眠症にでもかかったように夕刻から夜半、せいぜい早朝にかけて行動。日中のできごとはほとんどカットされている。このタブッキ版「十二夜」で男は失踪した友人の行方を追い、さまざまな人びとと出会う」。べつに数えはしなかったけれど、大ざっぱにいえば、12人と出会う12の物語というイメージだ。
 その最後、男がゴアの海辺のホテルで若い女とかわす小説談義が面白い。男は女に問われるまま、自分が小説を書いているものと仮定し、その粗筋を紹介するかたちで、行方不明の友人の立場から自分のいままでの旅をふり返る。Perhaps he's looking for a past, an answer to somehing. Perhaps he would like to grasp something that escaped him in the past. In a way he is looking for himself. (p.83)
 作中人物が作者の作品を解説するというのは明らかにメタフィクションの技法であり、そのテーマはずばり自分探し。アイデンティティの確認ないし確立である。べつに目新しい話ではないけれど、なにしろエキゾチックな舞台で、全篇を通じて「感傷的でない憂愁に彩られ」ているぶん、魅力がアップしていますね。
 一読ごきげんな気分になり、さてレビューを書こう、と思って Tabucchi のことを調べたら、なんと2012年に物故していたとは知らなかった。ほかの作品とあわせてこの本を買ったときは存命だったのに。10年遅れですが、ご冥福をお祈りします。

(下は、この記事を書きながら聴いていたCD)