ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Antonio Tabucchi の “Pereira Maintains”(2)と既読作品一覧

 表題作は、4月なかばに取り組んだ Antonio Tabucchi シリーズの4冊目。これで手持ちの彼の作品はぜんぶ片づけたことになる。当面あらたに読み足す予定もないので、以下、ささやかな既読作品一覧をアップしておこう。

1. Indian Nocturne(1984 ☆☆☆★★)

2. The Edge of the Horizon(1986 ☆☆☆★)

3. Requiem: A Hallucination(1991 ☆☆☆★★★)

4. Pereira Maintains(1994 ☆☆☆★★★)

 これでやっと、Tabucchi にかんしては、いちおう知ったかぶりができるようになったわけだが、なにを隠そう、"Indian Nocturne" を読むまではほぼ、同書を書いた作家というくらいの認識しかなかった。
 4冊読んでみて、同書に出てくる "Who am I?"(p.52)という主人公の自問に代表されるように、どうやら「実存の不条理と謎」が Tabucchi 文学のキーワードのひとつでは、という気もするのだけど、どうでしょうか。
 その流れからすると、表題作は、「おれはこのままでいいのか」がテーマといえよう。未読だが、巻頭に "Pereira Transforms" という Moshin Hamid の序文が載っている。「ノンポリ路線をつらぬこうと」した主人公 Pererira がなぜ、どう変身したかという内容かもしれない。
 ぼくは本書を読むまで知らなかったが、レビューを書くときに必要を感じて調べたところ、ポルトガルでは1932年から1968年まで、アントニオ・サラザールという独裁者が君臨し、Wiki によると、「敵対勢力は秘密警察を利用して排除」。新憲法を制定して「長期にわたるファシズム独裁体制を敷いた」という。なにやらあの大統領みたいですな。
 余談だがこのサラザール、それでも第二次大戦中は中立を守り、「ドイツの反ユダヤ主義には全く同意しなかった」とか、「連合国への積極的な協力が考慮されたことで孤立を逃れ」たとか、1949年にはポルトガルNATO加盟を導いたとか、なかなかしたたかな政治手腕の持ち主だったらしい。
 ともあれ本題に戻ると、この "Pereira Maintains" は、「1930年代、ポルトガルの独裁者サラザール体制のもと、言論統制に抵抗した良心的ジャーナリストの葛藤と勇気ある行動を描いた秀作である」。
 タイトルの由来は、全篇にわたって Pereira maintains ではじまるセンテンスが頻出することによる。たとえば書き出しはこうなっている。Pereira maintains he met him one summer's day. (p.1)一方、幕切れの文は Better be getting along .... , Pereira maintains.(P.195)
 どちらもふつうは Pereira says だろう。それをあえて maintains というのは、本書がおわってみれば一種の公式声明ともいえる作品だからである。つまり maintains はいわば「公文書効果」を発揮するための表現だと思われる。これにもちろん「リアルな実況中継」らしい効果も加わっている。
 ぼくはこれを読んでいるうちに、先月だったか先々月だったか、テレビで見たあるニュースを思い出した。ウクライナのなんとかいう街をロシア軍が空爆し、その後「解放」された現地を取材したロシア国営放送だったかの記者が、「この街はウクライナ軍の空爆で破壊された」と真顔で報道していたのである。
 その記者は保身のためか信念ゆえかプロパガンダに貢献していたわけだが、たぶん心のなかでは真実を知っていたはずである。その心中の知識と、口にするコメントとのギャップにひそかに悩んでいれば、ふつうはあんな真顔にはなれないだろうと思ったものだけど、それが可能となるところに全体主義の非人間性の一端がうかがえるわけだ。
 本書は Dostoevsy や Orwell の諸作ほどではないが、「全体主義が再台頭した21世紀の現代必読の一冊」だと思う。

(もっかBGMはジャズなのだけど、きょうは 'Indian Nocturne' にちなんでショパンの「夜想曲」を聴いていた)

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