ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Patrick Modiano の “So You Don't Get Lost in the Neighborhood”(2)

 "Young Once"(1981)がとてもよかったので(☆☆☆★★★)、つづけてまた Modiano が読みたくなった。いわゆる〈モディアノ中毒〉の症状である。ぼくは重症ではないけど、軽く患っている。
 そこで手に取ったのが表題作(2014)。これもよかった(☆☆☆★★)。Modiano がノーベル賞を受賞した年の刊行だが、たぶん偶然の一致だろう。

 いま調べると邦訳があり、『あなたがこの辺りで迷わないように』。このタイトルと同じ文言が本文にも出てくる。英訳では、Annie had not merely written the address on the sheet of paper folded in four, but the words: SO YOU DON'T GET LOST IN THE NEIGHBOURHOOD, in her large handwriting, an old-fashioned handwriting that was no longer taught at the school in Saint-Leu-la-Forêt.(pp.143-144)
 主人公の老作家 Jean Daragane が少年時代を回想したくだりである。当時、Jean 少年は Saint-Leu-la-Forêt の学校に通っていて、その送り迎えをしてくれたのが Annie。Annie は母親でもなんでもなく、それなのにどうして Jean の世話をするようになったのかは、読んでのお楽しみ。ちなみに、Saint-Leu-la-Forêt(サン・ルー・ラ・フォレ)はパリ市内の凱旋門にほど近い界隈のようだ。(下は、3年前の夏にシャンゼリゼ通りの横断歩道から撮影)

 ともあれ、Jean はアドレス帳を紛失し、その拾い主の男と面会。すると男は、ある昔の殺人事件について調査中だという。事件のファイルを入手した Jean は、そこに記載されたパリの各所を訪ね歩く。やがて Annie のことなど40年前の記憶が少しずつよみがえってくる。
 事件そのものは例によって最後まで「闇につつまれ、いわくありげな人たちでさえ記憶の引き金になるだけ。通常なら不満に思うところ」だが、なにしろモディアノ節に酔いしれてしまい気にならない。上の引用箇所の直前にも、こんなくだりがある。The streets were on a slope and, as he walked further down, he felt certain that he was going backwards in time.(p.143)
 モディアノ中毒の症状のひとつは、そういえば自分にもあんな体験が、と文脈を離れて思い出すことだろう。おぼろな記憶だが、ぼくも子どものころ、夜になるとなぜか母に連れられ、知らないひとの家や港へ出かけたことがあった。昼間だけ伯母の家に預けられ、またべつの伯母の見送りに駅へ行くと両親がいた。そこで話しかけようとしたら、なぜか手で追いはらわれた。「子どもにとって、おとなはふしぎな存在である。なにをしているのか、なにを考えているのか、ほんとうのところはよくわからない」。
 ラスト・センテンスはこう締めくくられている。.... you need a little more time to realise that there is no-one left in the house apart from you.(p.155)ここだけ切り取って読むと、べつにどうってこともないようだが、これに Annie と Jean のふれあいを重ねると胸を深くえぐられる。Jean の「両親がいつのまにかいなくなり、それまで顔見知りにすぎなかった女のひとが、なぜか一緒に新しい家で暮らしている。ひとりで近所を探索しても迷子にならないように、住所をしるしたメモを持たせてくれた。夜の雑踏のなか、離ればなれにならないように、しっかり手を握りしめてくれた。あのひとはいま、どこにいるのだろう」。