ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

J.G. Farrell の “The Siege of Krishnapur”(1)

 最終章の前でほぼ1週間、諸般の事情でひと休みしていた J.G. Farrell の "The Siege of Krishnapur"(1973)をきのうやっと読了。Empire Trilogy の第二作で、73年のブッカー賞受賞作である。また2008年には、ブッカー賞創設40周年記念の特別賞、the Best of the Booker の最終候補作にも選ばれている。さっそくレビューを書いておこう。

The Siege Of Krishnapur: Winner of the Booker Prize (W&N Essentials)

[☆☆☆☆★] 文明は、人間は進歩するのかしないのか。本書の根底にあるこの疑問をいち早く発した文学者はメルヴィルでありドストエフスキーだった。彼らの古典的作品とくらべると、さすがに本書は見劣りする。理想から流血の惨がもたらされ、自由から圧政が生じる矛盾への考察が物足りないからだ。ただ、直接的なテーマは大英帝国の栄光と悲惨という点にあり、その二重性の底に進歩の問題がからむ構造になっている。舞台はインド辺境の(架空の)町クリシュナプール。1857年、東インド会社のインド人傭兵シパーヒーが反乱を起こし、収税官ホプキンスは約四ヵ月におよぶ籠城戦を指揮。同年から実際に起きたインド大反乱にもとづくものだが、この史実を知らなくてもおおよその顛末は見当がつく。ゆえにおのずと興味はストーリーそのものより、その展開・叙述のしかたに向かう。これがすこぶる秀逸だ。砲弾が飛びかうなかの神学論争、激しい戦闘中のずっこけシーン、遺体をめぐる神父同士の管轄争い、医学と迷信がいりまじる医師同士のコレラ問答など、総じてブラックユーモアあふれるドタバタ悲喜劇に仕上がっている。ホプキンスは1851年のロンドン万博で文明の進歩を実感、その思い出が籠城中もしばしば胸をよぎるが、万博ゆかりの品じなも木っ端みじん。悲惨な戦争の現実を目のあたりにして進歩を疑うようになる。反乱の鎮圧により名実ともに誕生した大英帝国の栄光と悲惨をみごとに描いた秀作である。