ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Muriel Spark の “The Driver's Seat”(2)

 先週末、甥の結婚式に出席のため松山に行ってきた。帰りの日に市内見物。といっても、訪れたのは子規堂、坂の上の雲ミュージアム萬翠荘の三ヵ所だけで、いずれも再訪ないし再々訪だったが、駆け足で明治・大正・昭和初期のことを勉強するにはいいコースでしょう。
(写真は、坂の上の雲ミュージアムからながめた萬翠荘大正12年に旧松山藩主の子孫が別邸として建てたフランス風の洋館で、現在は国重要文化財。邦画『バスカヴィル家の犬』のロケ地になったそうだ)

 旅の友は、持ち運びに便利な短編集ということで、今年の全米批評家協会賞受賞作、Ling Ma(1983 - )の "Bliss Montage"(2022)。行き帰りの機内でちょっと読んだだけだが、いまのところ☆☆☆★★くらいか。
 閑話休題。表題作にとりかかったのは、J.G. Farrell の "Troubles" との Lost Man Booker Prize つながり。同賞(2011)は、ブッカー賞の対象年度変更のため受賞作のなかった1970年刊行の作品を対象にしたもので、みごと栄冠に輝いたのが "Troubles"(☆☆☆☆★)。

 最終候補にノミネートされたほかの面々のうち、ぼくが知っている作家は、オーストラリア人として初めてノーベル文学賞を受賞した Patrick White と、この Muriel Spark だけ。White はしんどそうなので、もっとなじみのある Spark のほうを手にとった。
 レビューのイントロにも書いたが、読みはじめて驚いた。たしかに初見のはずだったのに、すっかり黄ばんでしまった Penguin Books 版(1974)になんと、何ヵ所か書きこみがあるではないか。え、これ古本で買ったんだっけ? 最初はアンダーラインだけだったが、つぎに出くわしたのは、どう見てもぼくの筆跡である。
 ところが、いくら進んでも、それどころか最後まで昔の記憶がよみがえってこなかった。キツネにつままれたような間ぬけな話だ。
 ただ、表紙のエリザベス・テイラーの写真だけは見おぼえがあった。やはりイントロでふれたように、いろいろ調べてみると、本書は1974年、イタリアのジュゼッペ・パトリーニ・グリッフィ監督によって映画化。主演はエリザベス・テイラーで、アメリカで公開されたさい、"Identikit" と改題されたという。日本では未公開だが、『サイコティック』との邦題があり、テレビ放映されたことはあるのかもしれない。
 その映画はもちろん未見だが、当時、新刊紹介かなにかで邦訳の宣伝記事を見かけたような気がする。それから、Muriel Spark といえば、"Memento Mori"(1959)を読んだことがある。内容はすっかり忘れてしまったけれど、こちらはさすがに読んだ事実だけはおぼえている。Spark になじみがあるといっても、その程度だ。
 さて本書の読後ほぼ2ヵ月たったいま、じつはもう記憶があやふやになりかけている。よほど縁のない本なのだろう。

 そんなわけで、いつにもまして、たいした落ち穂ひろいになりそうもない。「型やぶりなサイコスリラー。『サイコ』でも『羊たちの沈黙』でも加害者は狂人であり、本書もいちおう定石どおりなのだが、一点、新工夫がある。その一点が……と、これ以上は読んでのお楽しみ。その一点に説得力をもたせるべく、作者は冒頭から終始一貫、オフビート調に徹している。けばけばしい服を身につけ、突然大声で笑いだしたり泣きだしたり奇異な言動をくりかえす女リセ」。
 縁がなさそう、またぞろ忘れてしまいそうと思えるわけとして、そもそもぼくは、サイコスリラーなるものがあまり好きではない。もちろん、読んでいるときは無我夢中。上の "The Silence of the Lambs"(1988)とか、Patricia Cornwell の "Postmortem"(1990)、William Katz の "Surprize Party"(1984)など、どれもめちゃくちゃおもしろかった。
 が、読後がよくない。あと味がわるいのではなく、この犯人、ぼくとは関係ないよね、と思えてしまうのである。表題作も同様で、「一歩まちがえればこの狂気に読者のあなたも、と思わせるだけの最終的な説得力がない」。
 その点、"Demons"(1872)の Pyotr Verkhovensky や Nikolai Stavrogin たちの狂気はハンパではない。読んでいて、「一歩まちがえればこの狂気に」ぼくもあなたも駆り立てられる恐れ、なきにしもあらずと思えてくる。レビューでも引用したチェスタトンのことばどおり、「狂人とは理性以外のあらゆる物を失った人である」。この「(自分の)理性しか見えない狂人」の直近の例が元KGBのあの大統領、といえば、その狂気の正体とこわさがすぐにわかるだろう。
 要約すると、"The Driver's Seat" は「作りものの狂気」を描いた文芸エンタテインメント。"Demons" のほうは現実に存在する狂気がテーマの純文学。本来、お門ちがいの比較なのだけれど、上のように前者を読んだことさえ忘れてしまった理由が気になる。結局、サイコスリラーだから、「作りものの狂気」だから、ということか。
 しかしそれなら、"The Silence of the Lambs" などの記憶があるのはなぜだろう。これはたぶん、「読んでいるときは無我夢中」だったからではないか。ひるがえって、"The Driver's Seat" のほうはそうでもなかった。うん、きっとそういうことなんだろうな。