ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Geetanjali Shree の “Tomb of Sand”(4)

 腰痛がかなり治まってきた。たぶん、常時着用している医療用サポーターと、最近使いはじめた椅子用腰クッションのおかげだろう。クッションのほうは即効性こそなかったものの、日がたつにつれ効果を感じるようになった。人間工学というのはスゴイですな。
 ところがきょうは尻が痛い。明け方、トイレに行こうとして階段を踏みはずし、転んでしたたかに打ちすえてしまった。年をとると、若いころにはほとんど体験しなかったような出来ごとが日常茶飯に起こるものだ。
 さて、老人日記はこれくらいにして表題作の落ち穂ひろいのつづき。いまメモを読みかえすと、「くどい」「スゴイ脱線」「ジョー舌」などと、似たようなコメントがいくつも並んでいる。たとえば、と元ネタの文脈を紹介するより、Shree 自身が自分の作風について解説しているのではないかと思われる箇所を挙げておこう。Sometimes when we read literature as literature, we realise that stories and tales and lore don't always seek to blend themselves with the world. Sometimes they march to their own blend. They don't have to be contemporary or complementary or congruent or connubial with the real world. Literature has a scent, a soupçon [a very small amount of something], a je ne sais quoi [something indescribable], all its own. And that is its stye.(p.700)
 この文学論そのものが「くどい」し「ジョー舌」だが、上の元ネタとあわせ、ぼくはこうまとめてみた。「さまざまな具材にいろいろなスパイスやハーブを混ぜあわせた結果、なにを食べているのか、どんな味かもわからなくなってしまったボリュームたっぷりの」「ごった煮こそインド固有の文学なのだといいたげなくだりもある」。
 Shree はつづけていう。But this is the world, it never lets up. The world is in dire need of literature because literature is a source of hope and life.(ibid.)
 たしかに、現実には「憎しみが増すなか、愛を語ることは感傷的に思える」状況だからこそ、あえて「愛を語る」dire need があるのだ。しかしそのためには、ありふれた味つけ、ふつうの量ではいけない。「途中で挫折したくなる読者も多かろうが、ここでは登場人物もまた混乱の渦に巻きこまれる。老いた母の常軌を逸した愛の物語にふりまわされた娘は、コミカルなドタバタ劇のあげく、『わたしはだれ?』と自分のアイデンティティを疑う。その母の愛がじつは、混沌というインド固有の文化にもとづく『壮大なラヴストーリー』の源泉だったと気づかされるまで、読者はおそらく忍耐をしいられる。そして根負けするだろう。これは大力作であると」。
 付言すると、ぼくはこれが「壮大なラヴストーリー」だと気づく(勘ちがいする?)と同時に、インドとパキスタンという「『宇宙から見おろせば』ひとつの地域が実際は憎悪に満ちあふれ深く分裂している」のはなぜだろう、といまさらながら思わずにはいられなかった。
 ヒンドゥー教イスラム教のちがい、といえばそれまでだが、それならなぜ宗教は人びとを分断させるのか。それはヒンドゥー教イスラム教という特定の宗教の問題なのか、それとも宗教一般にかかわる問題なのか。
 ともあれ、食事の席でも、政治と宗教の話題はタブーとよくいわれる。セックスの話もそうだが、これはまあ、わかる。政治と宗教のほうもわかる。
 わかりはするが、そもそも政治や宗教はなぜ憎悪を生むのだろうか。
 例によってミもフタもない話になってしまったが、ぼくには根源的と思えるこの問題について Geetanjali Shree はひとこともふれていない。ゆえにこれは「大力作」ではあっても、名作・傑作ではない。そこで評価も☆☆☆★★★となりました。ほんとにおしまい。

(下は、この記事を書きながら聴いていたCD)

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