前回もふれたとおり、本書(1891)は高校時代に邦訳で読んで以来の再読だ。しかし憶えていたのは、Tess という女が主人公、「あの話」も出てきた(はず)、とても面白かった、の三点だけ。あとは読めども読めども、さっぱり記憶がよみがえってこない。まるで初見のようだ。
今年1月からスタートした古典巡礼のうち、同様の再読だった “Jane Eyre”(1847)と “Pride and Prejudice”(1813)では、あ、たしかこれ、と思い出したシーンがいくつかあったものだけど、今回はそれもない。してみると、さほど心にのこる作品ではなかったということか。
じっさい、これはいまのところ、せいぜい文芸ロマンスくらいの出来かも、という気がしている。
まず、純情だが世間知らずの田舎娘 Tess が狡猾なプレイボーイ Alec の毒牙にかかる。この筋立ては、すぐに読めた。それはもう無意識のうちに記憶がもどったのかと思えるほどで、おそらくほんとうに初見であっても、だれでも予想のつく話だろう。
つぎに、Tess は純情な青年 Angel と相思相愛のすえ結婚。そこまではよかったが、彼女が上の苦い経験をバカ正直に告白したとたん、Angel は急に熱がさめ、Tess のもとを去っていく。
そんな熱愛から破局にいたる展開もミエミエだ。つい先週くらいまで BSの『ワンピース』では、ルフィが一瞬先の未来が見える超能力の持ち主カタクリと死闘をくりひろげていたけれど、べつにカタクリでなくてもここまでの流れ、だれだって読めるはずだ。
ところが、Alec の再登場には驚いた。これは読めませんでしたね。ううむ、この先どうなるんだろう、と俄然面白くなった。
(5月はモーツァルトのピアノ協奏曲、それもバレンボイムの旧盤ばかり聴いていた)
