ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Thomas Hardy の “Tess of the D'Urbervilles”(1)

 きのうやっと、Thomas Hardy の “Tess of the D'Urbervilles”(1891)を読了。たしか高1のとき、邦訳で読んで以来の再読である。さっそくレビューを書いておこう。

[☆☆☆★★★] 元祖・通俗メロドラマともいえそうな文芸ロマンスの佳篇。イングランド南部ウェセックスの田園風景をはじめ、ストーンヘンジを吹きぬける風、移ろいゆく光と影など細部にわたる自然描写が、熱く悲しい恋愛劇の最高の舞台をつくりだしている。心理描写もすこぶる精密で、恋人たちを取り巻く家族や友人その他、端役にいたるまで巧みに造形。のみならず十九世紀末、厳しいキリスト教倫理と古い因習に縛られた農村社会のシステム障害が露呈されるのは、ハーディが微視的な観察眼に加え、巨視的な文明観の持ち主でもあった証左だろう。が、肝心のテスと、その恋人たちが織りなすドラマは途中の筋書きが見え見えで、上に挙げた美点がなければいかにも平凡。純真無垢な田舎娘と狡猾なプレイボーイ、純情な好青年。そう列挙しただけで思いうかびそうな物語が中盤すぎまでつづく。それが終盤、急展開を迎え、彼らが三つどもえとなってからは文字どおりヒートアップ。おかげで得点もアップしたが、それにしても三角関係といえば、映画やテレビドラマではとうに定番中の定番の題材である。これをヴィクトリア朝後期にいち早く採りあげ、いわば現代を先取りしたのが本書なのだ。むろん同朝初期の作品でも三角関係は見受けられたが、上流階級ではなく庶民の恋、さらには破滅の恋として描いた点に新味がある。また、テスは『高慢と偏見』のエリザベスや、『ジェイン・エア』のジェインとちがって強烈な主体性を有さず、ドストエフスキーのいう「隷属する女」の典型である。隷属は幸福をもたらすこともあるはずなのに、それが破滅にしかいたらないとは、まさにペシミスティックで通俗的な結末といわざるをえない。