えっ、なんで?
ふだんぼく自身、本ブログの注目記事はただ目に入るだけのコーナーなのだけど、「ハーマン・ローチャーの『おもいでの夏』」には驚いた。どうしてこれがいまごろ「注目」されてるんだろう。
その理由はなんとも想像しがたいが、ひさしぶりに読みかえしてみて二度びっくり。掲載している “Summer of '42”(1971)の冒頭二ページの試訳がまことにお粗末なしろもので、こんな拙訳をよく公開したものだと、われながら呆れてしまった。
さらに呆れるのは、それが「ちょっぴりマシな(と思える)」改訳だったこと。しかも、上と同じように「(初出の訳が)文字どおり拙訳で、お話にならない」と嘆いたあと、「よくまあ、こんなものを公開したものだと後悔した」などと、おやじギャグまで飛ばしている始末。「こんなもの」がどんなにヒドいものだったか知れやしない。
さっそく原文と対照しながら気のついた箇所だけ手をいれてみたが、ううむ、まだじゅうぶんではない。でもぼくの力では、いまのところ、これ以上直しようがない。いつかまた取り組むことにしよう、と諦めた。
洋書のほうは、Wilkie Collins の “The Woman in White”(1860)を読みだしたところ。とても面白い。
きっかけはいくつかあるが、直近のものでいうと、Time 誌選オールタイム・ベストミステリ100にランクインしているのを遅まきながら発見した。
https://time.com/collection/best-mystery-thriller-books/
このリストは刊行順なので本書はトップバッター。下のほうには、“The Honjin Murders” by Seishi Yokomizo や、“The Decagon House Murders” by Yukito Ayatsuji など、日本の作品もいくつか載っている。『本陣殺人事件』なんて、ガラガラポンだっけ、あの密室トリックが英米人にもわかるとは、よほどうまい英訳なんでしょうな。
同書を読んだのは中学時代だったが、『十角館の殺人』のほうは十年ほど前に途中で挫折。主な登場人物が順に紹介されるあたりでもう眠くなってしまった。いかにもミステリらしいキャラづくりに、どうしてもついて行けなかった。それが『本陣』ではまったく気にならなかったのは、昔はそんなこと考えもしなかったせいか、のっけから面白かったせいか、どうもはっきりしない。
表題作を読んだのは、雑感でもふれたとおり、たしか高1のときだ。こちらも記憶があやふやで、いやそれどころか、結末にいたるもついに粗筋さえ思い出せなかった。憶えていたのは「とても面白かった」ということだけ。
「あの話も出てきた」はずだったが、これは明らかに勘ちがい。マセガキゆえ、行間からいろいろ想像をふくらませ、それがじっさいに読んだような気分になり、その気分が誤った記憶を頭に刷りこんでいたものらしい。
ともあれ、雑感のくりかえしだけど、少年時代の昔は「とても面白かった」恋愛小説が、年をとり英語で読んでみると、なんだ、こんなものが面白かったのか、と拍子ぬけ。「肝心のテスと、その恋人たちが織りなすドラマは途中の筋書きが見え見えで」、「純真無垢な田舎娘と狡猾なプレイボーイ、純情な好青年。そう列挙しただけで思いうかびそうな物語が中盤すぎまでつづく」からだ。(つづく)
