いま読んでいる “The Woman in White” (1860)、相変わらずとても面白い。既報どおり、Time 誌選オールタイム・ベストミステリ100に入っているのを知り取りかかった。あらかじめミステリとわかっていて読む(外国)ミステリは、調べてみると2017年11月以来だった。
その前が2000年の夏に読んだ Brian Forbes の "The Endless Game"(1986)だから(☆☆☆★★)、このほぼ四半世紀で二冊めということになる。え、これもミステリだったのか、と読後に気づいた作品はいくつかあるけれど、それにしてもえらく遠ざかってしまったものだ。
けれども昔は大のミステリ・ファンで、「ハーディは短編がええよ」と教えてくれた高校時代の英語の先生が『白衣の女』を紹介されたときも、ああ、『月長石』の作者かとピンときた。
たしか、前置詞 in の用例として出された話だったはずだ。それを聞いてぼくが反射的に思い出したのは『月長石』のほか『黒衣の花嫁』だが、原題は “The Bride Wore Black”。in black なら “Rendezvous in Black” で、邦題は『喪服のランデヴー』。どちらも後日邦訳を読んで得た知識だけど、『月長石』のほうはついに手が出なかった。なにしろ文庫本なのにえらく分厚かったからだ。いまはもう書棚のどこにも見当たらない。
“The Woman in White” もじつは恥ずかしながら初見である。“The Moonstone” よりさらにデカい本ということで長らく積ん読だった。しかし取り組んでみると、面白いだけでなく英語も標準的で読みやすい。だから当然ペースは上がるはずだけど、なにしろ超大作。そんなに急ぐこともあるまい、と例によってボチボチ進んでいる。
ウィルキー・コリンズは亡父が買ってくれた毎月配本の世界文学全集に収められていなかったが、『ダーバヴィル家のテス』のほうは入っていた。今年1月からスタートした古典巡礼で選んだ作品は、“Emma” を除くとすべて、中高時代にその全集で読んだか読みかじったものだ。あの青春をもういちど!
ってわけにはいかないなと思ったのは、この “Tess of the D'Urbervilles”、期待したほど面白くなかったからだ。自分でも意外だった。
レビューの拙文を読みかえしてみると、ううむ、たしかにこんなこと、昔は考えもしなかったようなことを書いている。目が肥えてきた証拠と自画自賛したいところだが、少年時代の純粋さを忘れてしまったような思いのほうが強い。
... From the middle of the building an ugly-topped octagonal tower ascended against the east horizon, and viewed from this spot, on its shady side and against the light, it seemed the one blot on the city's beauty. Yet it was with this blot, and not with the beauty, that the two gazers [Angel Clare and Clare's sister-in-law, 'Liza-Lu] were concerned. / Upon the cornice of the tower a tall staff was fixed. Their eyes were riveted on it. A few minutes after the hour had struck something moved slowly up the staff, and extended itself upon the breeze. It was a black flag.(p.397)
全篇のハイライトともいえるシーンだが、いやはや、まったく記憶になかった。昔もそれほど心にしみなかったということなのか。
この場面についてチェスタトンはこう述べている。「たとえテスが処刑されるにしても、かつての彼女の恋人が新しい恋人を連れて、テスの絞首刑の執行を告げ知らせる黒い旗を現に目にするというに到っては、芸術上も許しがたい設定であるばかりか、現実にもあまりにありえない設定と言うべきだろう。同じ悪い冗談にしても、あまりに残酷な冗談というものだ。こんな冗談では、作者自身さえ笑う気にはとてもなれまい」。(安西徹雄訳『ヴィクトリア朝の英文学』)
酷評である。ぼくは「現実にもあまりにありえない設定」とまでは思わなかったけれど、「ペシミスティックで通俗的な結末」だとは思った。次回はその通俗の意味について深掘りしてみよう。(つづく)