ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Wilkie Collins の “The Woman in White”(4)

 長い夏休みだった。
 年金生活といえば毎日が夏休みのようなものだけど、それにしても知的怠惰の日々だった。
 表題作を読みおえたあと、Joseph Conrad の “Nostromo”(1904)に取りかかったのはいいが、四分の一くらいで挫折。話がなかなか進まないのでシビレを切らしてしまった。
 以後、発注した今年のブッカー賞候補作、Hisham Matar の “My Friends”(2024)が手元に届くまで、場つなぎに『或る「小倉日記」伝』をはじめ、清張の短編集を再読、いや再々読か。どれもとても面白く、洋書日記なんてサッパリつける気がしなくなった。
 そこへ先日、待望の “My Friends” が到着。リハビリがてら読みはじめると、いやあ、ほんとにリハビリですな。Conrad とくらべ、英語は簡単、物語はテンポよく進み、主人公にも感情移入しやすい。一連の古典巡礼とは大違いだ。
 ところがなんと、その Conrad の話が同書に出てきたのには驚いた。... one night, very late in the hour, Joseph Conrad, believing himself to be pursued by a Russian spy, took out his pocketknife and hid, waiting. As soon as his pursuer appeared, Conrad sneaked up behind him and slit his throat.(p.77)
 ホンマかいな! もっとも、注釈はついていて、The story was so farfetched that it did not deserve any attention, ....(Ibid.)
 真偽のほどはさておき、これはきっと、Conrad を読みなさい、という神さまのお告げでしょう。“Lord Jim” (1900 ☆☆☆☆★★)同様、我慢した努力が最後に報われるのを期待するしかない。

 閑話休題。“The Woman in White” のレビューをでっち上げるうえで、いちばん役に立ったのは、エリオット全集第4巻「詩人論」に収録されている『ウィルキー・コリンズディケンズ』だ。

 このデカ本、ぼくがじっくり読んだことがあるのは『ウィリアム・ブレイク』とか、『シェイクスピアセネカの克己主義』、『ボオドレエル』といったあたり。『コリンズとディケンズ』? そういえば、そんなのあったっけ。
 しかしこのほど拾い読みしてみると、さすがエリオット先生、ちゃんとポイントを押さえています。邦訳はちょっと読みにくいので原文を引いておこう。The Woman in White contains Collins's most real characterization. Everyone knows Count Fosco and Marian Halcombe intimately; ...(Selected Essays, 462)/ If The Woman in White is the greatest of Collins's novels, it is so because of these two characters. If we examine the book apart from Marian and Fosco, we must admit that it is not Collins's finest work of construction, ... The book is dramatic because of two characters ...(Ibid., 463 - 464)
 なにしろミステリなのでネタの割りすぎは禁物だが、五人の中心人物は頭にいれておかないといけない。the woman in white すなわち Anne Catherick。彼女と蠱惑的な月夜の場面で出会った青年 Walter Hartright。彼が恋に落ちた美女 Laura Fairlie。その異母姉 Marian Halcombe。Laura の婚約者でのちの夫 Sir Percival Glyde。卿の友人 Count Fosco。
 このうち、Marian と Fosco が人物造型のうえでもっとも重要というエリオットの指摘は正しい。「ローラは心ならずも婚約者クライド卿と結婚。その生活ぶりに違和感をおぼえたマリアンは、卿とその友人フォスコ伯爵にも疑念をいだく。彼らはどんな陰謀を企てているのか」。
 Clyde は短気で思慮に欠けるが、Fosco のほうは奸智にたけている。ゆえに Marian と  Fosco の対決が最大の山場。
 と思いきや、二転三転するところが面白い。と同時に、それは本書の構造上のミスにつながるものでもある。「(マリアンとフォスコという)ふたりの直接対決により謎と陰謀が解明されれば、たしかにいっそう『劇的』となったはずだが、じっさいの探偵役はウォルター」。ネタは明かせないが、Marian ではなく Walter が Fosco を追いつめる展開には必然性がある。
 とはいえ、頭脳明晰な Marian が途中から舞台後方に引っこんでしまったのは、やっぱり残念だ。やむをえない「構造上のミス」だろう。If we examine the book apart from Marian and Fosco, we must admit that it is not Collins's finest work of construction.
 うん? かんじんの the woman in white の話はどうなった? そりゃ、読んでのお楽しみですわ。(了)