ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

2024年ぼくのベスト小説

 今年ももう大晦日。去年の今日はトマム・スキー場にいたので、二年ぶりにわが家で第九を聴いている。

 今年は年頭、「もっと本を読むぞと決心」したのはいいけれど、じっさいは八月まで十九世紀英米文学の古典巡礼。おかげで読んだ冊数は激減した。

 その後、いつものようにブッカー賞レースを追いかけ、きのうやっと、最終候補作の落ち穂ひろいがほぼおわったところ。とりあえず、その総括をしておこう。(以下途中まで、「2024年ブッカー賞ぼくのランキング」に転載しました)。

 まず受賞作の "Orbital" だが、どうしてこんなものが選ばれたのか、とニュースを知って絶句。これほどぼくの口に合わない作品はひさしぶりだ。要は、国際宇宙ステーションからながめた時々刻々変化する地球の風景が描かれ、それに呼応して、宇宙飛行士たちの脳裡に去来するいろいろな思いが綴られるだけ。前者はドキュメンタリー映画か、雑誌「ニュートン」の写真で代用できそうだし、後者は平凡なトピックスの羅列にすぎない。選評は未読だが、ぼくの見すごした美点が評価されたのだろう、というしかない。
 1位に推した "James" は、名づけて「ハックルベリー・フィンの冒険外伝」。ハックは助演にまわり、原典で脇役だったジム(ジェイムズ)が大活躍。今年の全米図書賞に輝いたのもおおいにうなずける会心の冒険小説だ。しかしそれ以外の要素がいただけない。ジムとヴォルテール啓蒙思想家との奴隷制談義など、人種差別を扱うさいの紋切り型から脱しようとした試みは評価できるが、議論そのものは不発。ほかのブンガク的工夫も突っこみが足りない。
 "Stone Yard Devotional" はコロナ禍を描いた作品。破局的な状況に焦点を当てず、ホームステイ生活を余儀なくされたのが、じつは自己検証に絶好の機会だったと思い起こさせるところがいい。が、検証される内容は死別の悲しみや、あやまちと赦しなど、ありきたり。
 "Held" は「人生の断片集」。人生のさまざまなピースをちりばめた「叙情的な散文詩と観念的で晦渋な瞑想」の世界だが、その瞑想の先にあるのが「大略、愛と死」ときては、解読に要した時間をかえしてくれ、といいたくなる。
   "Creation Lake" は落ち穂ひろいの途中。書きのこした点を要約すると、これはエコテロリズムをスパイ小説の技法で描いたもの。その「ミステリ部分はけっこう面白い」のだけど、あと半分の哲学的瞑想が退屈。
 以上まとめると、月なみな感想だが、「もはや語るべきことは語りつくされてしまった現在、あとは状況と語り口で攻めていくしかない」という文学の閉塞状況が見えてくる。"Orbital" の受賞は典型例だろう。この程度でブッカー賞受賞とは、文学の水準低下を物語っているような気がしてならない。(転載はここまで。上の「ぼくのランキング」で、ブッカー賞の総括をさらにつづけました。主旨は、「いでよ、21世紀の George Orwell!」)。
 と思ったら、年末に読んだ今年のピューリツァー賞受賞作、"Night Watch" は出色の出来だった。これがなかったら、今年はベスト作品なしでおわるところだった。

 むろん本書でも、南北戦争時代の精神病院という、おそらく文学史的には目新しい状況が設定されている。が、それにたよることなく、やはり手垢のついたホメことばだが、波瀾万丈の物語、涙の感動作に仕上がっている。
 この "Night Watch" といい "James" といい、"Orbital" より上回っているのは、ぼくの色眼鏡では明らか。ゆえに今年は("Night Watch" は去年の作品だけど)、アメリカ文学のほうが勢いがあったように思える。来年はどうでしょうか。
 みなさま、どうぞよいお年を。