先月末からいままでずっと、戦艦長門のプラ模型製作に励んでいた。その成果がこれ。


フジミの1/700 艦NEXTシリーズのひとつで、接着剤不要、塗装不要、パーツを組み合わせるだけ、というふれこみだったが、いきなり戦艦に手をつけたのが大失敗。多くの先達が案内しているとおり、やはりパーツ数の少ない駆逐艦でまず練習しておくべきだった。
とはいえ、駆逐艦にはあまり興味がなく、どうせなら戦艦長門を、と思い立った。なぜ長門か。
ぼくは子どものころ、天井裏をネズミが走る、そのネズミをねらってヘビも家のなかに出てくる、といったオンボロ長屋に住む貧乏少年だったので、毎月のお小遣いも微々たるもの。小学四、五年生になり、「少年画報」などに載っていた絵(おそらく小松崎茂の作品)に触発され、戦艦や戦闘機の模型をつくりたくなったが、せいぜい数ヵ月に一機、一隻くらいしか買えなかった。
それも零戦をはじめ戦闘機、戦艦なら大和、武蔵あたりは(需要が多かったせいか)比較的安かったけど、それ以外のもの、とりわけ長門はなぜか高値の花。友だちが学校のプールで長門を走らせているのを見て、ひどくうらやましかったのを、いまでもありありと憶えている。
その反動で取り組んだのが「初心者むけ」という上のモデルだが、看板に少々偽りあり。パーツをいれる穴が米粒の半分から三分の一ほどの大きさで、パーツがなかなか入らない。むりに押しこむとポキッと折れたり、どこか見つからないところへ吹っ飛んでしまったり。そもそも前後上下左右、パーツを逆に取りつけたり、切断・接合箇所を間違えたり。そんな初歩ミス、大失敗の連続で、その大修理に追われっぱなしだった。
それなのに、未塗装だとモデルっぽいなと思い、よせばいいのに塗装を試みたところ、ふと指がパーツにふれてしまい、またまた破損。艦尾の旗竿なんて何回折ってしまったことか。
結論。艦船模型に門外漢が興味本位で手を出すのは禁物。上のように時間がかかるし、お金もかかる。製作用の道具はもちろん、塗料も単価は安いが最低三個からしか買えないことも多く、凝れば凝るほどコスパがわるい。アップした写真の海にしても、使用した「なみいたくん」二枚で、なんとモデルの三分の一くらいの値段だった。
というわけで、年金生活者の趣味としては「不適切にもほどがある」ってほどではないけどキツい。長門と同じく、小学生のぼくには垂涎の的だった重巡鳥海のモデルも入手しているが、じっさい製作に取りかかるのは早くて来年か。
さて表題作。そろそろ落ち穂ひろいもおしまいにしなくては。前回から引くと、「シンプル・イズ・ベスト。ここではすべての流れが、Endurance was strength. The courage of the lost swelled and moved, a force separating the days, clearing the way.(p.276)という結びのことばにむかって収斂していく」。「男女の愛と家族愛。要はそういうことだ」。
ところが、最初にアップしたレビューでは「おおいにツイストが効いている」とも書いている。シンプルなのにツイストが、とはどういうことか。
まず前回もふれたとおり、人物関係が当初謎につつまれている。やがて作中人物たちより先に読者が彼らの運命を知り、物語のとりこになる。
ついで、その道筋が、月なみなホメことばだが、波瀾万丈としかいいようがない。ハラハラドキドキ、こんな page-turner に出会ったのは、ほんとうにひさしぶりだ。
ともあれ波瀾万丈、いいかえれば紆余曲折ある展開を「ツイスト」と評したわけだ。これって、伝統的な技法だけど小説の王道ではないでしょうか。
いくら現代文学では、「もはや語るべきことは語りつくされてしまい、あとは状況と語り口で攻めていくしかない」としても、この王道を忘れちゃいけませんな、とぼくは本書を読んでつくづく思った。そういう意味でもシンプル・イズ・ベスト。
ひるがえって、去年のブッカー賞の受賞作や最終候補作のように、語り口にこだわるあまり、退屈この上ないシロモノになってしまう場合がけっこう多いようだ。そのこだわりを芸術というなら、ぼくとしてはそんなゲージュツ、願い下げにしてもらいたい。
暴論だけど、語り口にしぼれば、Joyce や Virginia Woolf, Faulkner の「意識の流れ」でひとつの頂点をきわめ、García Márquez をはじめとする、ラテアメ文学のマジックリアリズムでもうひとつの頂点をきわめたのち、以後に生まれた作品はすべて、その亜流俗流にすぎないのではないか。
いやいや David Mitchell はちがいまっせ、とぼく自身すぐに反論したくなったので、上の暴論はただちに撤回。ともあれ、Joyce, Faulkner, Márquez, Mitchell の諸作が洗練された技法で成り立っているだけでなく、豊かな物語性にも満ちていたことだけは忘れてはなるまい。(了)