本書の「融合話法」、レアではあるけれど、ラテアメ文学などに前例がないわけではない。が、あちらはどんなにヘンテコな世界でもおおむね物語性があり、ワケがわからなくてもおもしろい。わかったときは、なおさらおもしろい。
一方、表題作はもちろんマジックリアリズムとは無関係。she と he の「ことばと思いが切れ目なく交錯する」叙述法でふたりの馴れそめ、その後の交際が綴られる。この工夫がなければ平凡な恋愛小説だ。
いや、平凡でないところもあり、she は若い女で he は彼女の父より十歳も年上の男。とくれば川端康成の『眠れる美女』を思い出すが、ここには隠微で官能的なエロティシズムの香りはない。男に妻子がある点を考慮しても、やはり平凡だ。
いきおい眠気を誘われるが、ときどきハッと目が覚めることも。Socialism in one country, that's the rub, thinks Hans, when he's up again at night, unable to sleep. A toppling of every existing order, in the teeth of the hostility of the rest of the world. The new was born bloody, who will wipe the blood off it? ... When is the moment to stop the killing? They have made love, and Katharina, still lying half under him, has drifted off to sleep. To be arrested or to carry out arrests and believe in the cause, to be beaten or to beat and believe in the cause, to be betrayed or to betray and believe in the cause. What cause would ever again be great enough to unite victims out of murderes in one heartbeat.(p.204)
Hans は老人だけあって少年のころ、ヒトラーユーゲントに属していた(p.89)。Katharina も自身、戦争体験こそないものの、ブーヘンヴァルト強制収容所を見学したことはある。She cannot remember a time in her life when she didn't know that in Germany, death is not the end of everything but the beginning. She knows that only a very thin layer of soil is spread over the bones, the ashes of the incinerated victims, that there is no other walking, ever, for a German than over skulls, eyes, mouths, and skeletons, that each step stirs these depths, and these depths are the measure of every path, whether one wants to or not.(p.90)
そんな彼らの恋愛模様はおのずと通常のラヴストーリーを超え、しだいに歴史小説の様相も呈してくる。とりわけ Hans の思索や回想を通じて、「ドイツおよび旧ソ連の歴史も混入。第二次大戦の惨禍はもとより、スターリンの恐怖政治とその批判、ヒトラー独裁とその末路、旧東ドイツ・ホーネッカー体制とその崩壊。こうした激動の現代史と政治の現実が愛の語らい、ベッドシーンにいり混じる複雑な構造がしばし読ませる」。
その典型例が最初の引用箇所というわけだ。
Erpenbeck は旧作 "The End of Days"(2012 ☆☆☆★)でも、「ふたつの世界大戦、スターリンの血の粛清、ベルリンの壁崩壊」などを題材にしていた。ただし、ヒロインがそのつど死んではよみがえり、いわば歴史の生き証人となるSF的なアイデアを除けば「通史を読んでも同じ」内容で、「けっして新しい解釈が示されているわけではな」かった。
"Kairos" にしても、歴史の解釈そのものは従来と変わっていない。上のような「性愛と政治の混在」がユニークなだけだ。
とはいえ、Hans の思索や Katharina の体験からうかがえるとおり、解釈がどうのこうのというより、Erpenbeck はドイツ人として、なかんずく東西分断以後、旧東ベルリンに生まれ住んでいるドイツ人として、激動の歴史と深く真剣にむきあわざるをえなかった。本書も旧作もその結果生みだされたものではないか。
とそんなことを考えていると、Katharina はなんと若い男と浮気してしまう。それを Hans が「執拗にとがめるあたりから、一見痴話げんか、痴情のもつれ」となり、ぼくはそのうちまた、なんども睡魔に襲われてしまった。(つづく)
(前々回アップした写真を3Dペイントで加工してみました)
