表題作と並行して、めずらしく同時に何冊か読んでいた。
といっても日本のものがほとんどで、ひとつは阿川弘之の『山本五十六』。開戦時に五十六が乗艦していた戦艦長門のプラモをつくったのがきっかけで、書棚の奥から取りだした。しかし長い。やっと上巻がおわったところ。
工藤美代子は『山本五十六の生涯』で阿川本のミスを指摘していたが、それはたしか個人情報にかんするものだった。時代の流れという点では阿川本のほうがわかりやすい。これを読むと、月なみな感想だが、古今を問わず日本の指導者たちが「国際情勢オンチ」なのは宿痾なのかも、と思えてくる。
『蝉しぐれ』も長かったけど、こちらはもう読了。大昔、NHKドラマを見てすぐに買って以来、やはり積ん読になっていた。不条理、不運、不幸。主人公に襲いかかる障害が多ければ多いほど小説はおもしろい。
映画版は未見だが、行間から内野聖陽や水野真紀、宮藤官九郎などの顔が浮かんでくるだけでも、ドラマ版は原作を忠実に反映していたようだ。
『楼蘭』も読んだ。これは再読で、中学の教科書に載っていた「往古、西域に楼蘭と呼ぶ小さい国があった」という格調高い冒頭の一節がなつかしかった。少年のころの感想は憶えていない。大人の目で読みかえすと、漢と匈奴という二大勢力のあいだで右顧左眄せざるをえなかった小国の悲哀が現代にも通じるように思う。楼蘭はまるでウクライナ、あるいは東洋の島国みたいだ。
それから恐ろしいことに、なんと "Bleak House"(1853)を試読中。ほんとはこれ、去る二月あたりから手をつけたかったのだけど、諸般の事情というやつでズレこんでしまった。「恐ろしいことに」の意味は説明不要だろう。「試読」とは、さいごまで読み切れる自信がないから。ただ、Esther Summerson が語り手のくだりは意外に簡単だ。
明日から愛媛の田舎に帰省する予定だが、重くてかさばる本なので試読も中止。代わりに、Patrick Modiano の "After the Circus"(1992, 英訳2015)を持っていこうと思っている。
"Paris Nocturne"(2003, 英訳2015)にノックアウトされたあと(☆☆☆☆)、Modiano 本は大人買いしたものだが、"After the Cicus" だけなぜか読み洩らしていた。I was eighteen ... という書き出しをひと目見たとたん、未読なのになつかしく思えた。モディアノ中毒の症状ですな。
もう一冊、『楼蘭』の流れで『敦煌』も旅行の友に。これも中学以来の再読だけど、内容はまったく記憶にない。が、段ボールの手製本箱に厳選して収めた文庫本はぜんぶ読みかえすつもりだ。
おいおい、表題作の話はどうなったんすか。スミマセン。これは開巻、楽勝だと思った。現代文学でよく出くわすヘンテコリンな叙述法や構成ではなく、伝統的というかオーソドックスというか、とにかく読みやすい。語学的には速読に適したテクストだ。
が、しばらく進んだところで、速く読むのはもったいないと思った。名作古典でなくても、現代でも熟読玩味したくなる作品がある。「ここまで育ててくれて、ありがとうと言うべきだったのだ。母よりも父が好きだったと、言えばよかったのだ。あなたを尊敬していた、とどうして率直に言えなかったのだろう」。この牧文四郎のことばに目をとめず、読み流すひとがいるとは、ぼくにはちょっと想像できない。(つづく)
![蝉しぐれ (新価格) [DVD] 蝉しぐれ (新価格) [DVD]](https://m.media-amazon.com/images/I/510x9rNAhBL._SL500_.jpg)