ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Patrick Modiano の “After the Circus”(2)

 二兎を追う者は一兎をも得ず。
 相変わらず、"Bleak House"(1853)と "The Prime of Miss Jean Brodie"(1961)の併読をつづけているが、どちらも中途半端。どうもうまくいかない。一方で興が乗ってきたところで他方にうつり、元にもどると前ほど乗れない。そのくりかえしだ。
 さて表題作。これはとても「つらい小説」だ。若いとき、主人公 Jean と同じような体験をしたひとは、その後どうやって生きたらいいのだろう。青春時代がすぎたあとはすべて余生、あるいは太宰治のように「晩年」となるのかもしれない。
 読みおえた瞬間のことはいまでも憶えている。「読後しばし茫然。主人公同様、『頭がまっ白になった』」。
 相生あたりだろうか、東京行き新幹線の車中だった。窓外の景色が意識と無意識の境目を白く青く流れていく。結びの一節はこうだ。I walked out, my mind a blank. Outside, everything was light, clear, indifferent, like a pure blue January sky.
 その後、結末がこんな小説を思い出した。But after I got them out and shut the door and turned off the light it wasn't any good. It was like saying good-bye to a statue. After a while I went out and left the hospital and walked back to the hotel in the rain.
 こんな幕切れもよみがえってきた。He looked back once more, before the winding of the road shut her from sight. There Katie stood, leaning against a tree, her arms hanging down weakly. He could no longer recognize her face; she did not move, she lifted no hand./ It was Sunday morning.
 一冊めは "A Farewell to Arms"(1929)で、つぎは "Old Heidelberg"(1901, 英訳1903)。どちらも十代のころの(もちろん邦訳だが)愛読書だ。大昔入手した英訳版  "Old Heidelberg" は上の一節しか読んだことがないけど、やはりなつかしい。

 そんな読者のなつかしい、場合によってはつらい体験を思い起こさせるのも Modiano 効果のひとつだろう。その Modiano 効果が Modiano 中毒となってしまうと、患者はもうまともな作品評価ができない。
 つとめて客観的にふりかえると、なんだこんなもの、と亡き恩師のひとりはクサしそうな気がする。人生いかに生きるべきか、という問題とはまったく関係のない話じゃないか。
 が、もうひとりの亡き恩師は、すごい小説だ、とおっしゃるかもしれない。先生はルイ・マル監督の『恋人たち』を「すごい映画だ」と激賞されたことがあるからだ。あれはたしかにすごいし、「つらい映画」でもあった。

 ううむ、どうも考えがまとまらない。上に挙げた作品以外にも、つらい小説、つらい映画がいくつも浮かんできて、かんじんの本題に入るのを妨げようとしている。これも Modiano 中毒の症状のひとつだろうか。(つづく)