ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Muriel Spark の “The Prime of Miss Jean Brodie”(3)

 あああ、空振り三振!
 去る20日、今年の国際ブッカー賞が発表されたが、結果は下馬評第四位の "Heart Lamp" (2024)が受賞。ぼくが入手していた上位三冊はあえなく落選してしまった。
 なんの予想でもはずれるのは世の常だけど、イヤな予感はあった。先日レビューをアップした一番人気 "Small Boat"(2023)がせいぜい佳篇どまり(☆☆☆★★)。けっして傑作といえるほどの出来ではなく、これじゃアカンやろ、と思っていた。
 "Heart Lamp" はタイトルも表紙もハートウォーミング。期待がもてそうだけど、手元に届くのは来月初旬。それまで "Small Boat" につづく外出の友をどうするか。あれこれ試したあげく、Elizabeth Taylor の "Mrs Palfrey at the Claremont"(1971)を持ち運ぶことにした。
 Elizabeth Taylor といっても、クレオパトラを演じたあの大女優ではなく、れっきとしたイギリスの女流作家(1912 - 1975)。日本の読者にはあまりなじみがないかもしれない。『新潮世界文学辞典』に記述はなく、『小説世界のロビンソン』によると、小林信彦も「エリザベス・テイラーなんて作家がいたのか」と首をかしげたらしい。
 でもこの  "Mrs Palfrey ..."、じつは1971年のブッカー賞最終候補作で、ぼくもそうと知ったときは一瞬驚いたものだが、過去の同賞作品リストにはちゃんと、「同名の女優とは別」と記載されている。へえ、そうなんや。
 ってわけで名前が忘れられず、ものは試しとまず読んだのは "In a Summer Season"(1961 ☆☆☆★★)。ついで "Angel"(1957 ☆☆☆★★★)。どちらも面白かったが、三冊めの Elizabeth Taylor もわりとイケそうだ。このところ風邪をひき、ジムもサボっているのでなかなか外出する機会に恵まれず、まだほんの序盤なのだけど、なんてことない話なのにニヤっと笑わせる。
 一方、家で読んでいるのは相変わらず "Bleak House"(1853)。試読のつもりだったが、辞書なみに分厚いペイパーバックをようやく左右半分にひらけるところまで進んできた。もう投げ出すわけにはいかない。
 最初は読めども読めども digression の連続としか思えず、いっこうに全体像が見えてこなかった。しかし中盤になってやっと、ああ、あれはそういうことだったのか、とその digression が少しずつ収斂されつつある。どうやらヒロイン Esther Summerson の出生の秘密が主筋のひとつのようだ。彼女が実の母親とは知らず Lady Deadlock と初めて出会う場面は相当に盛り上がった。後世の映画やテレビドラマの原型じゃないかしらん。
 さて、あだしごとはさておき表題作。未見だが映画『ミス・ブロディの青春』では、名門女子校の教師ミス・ブロディが退職させられたのは、「嫉妬にかられた女生徒の中傷」によるものらしい。これは半分当たっているけれど、あと半分、映像化しにくい要素もからんでいる。

 原作の Miss Brodie は「自由で革新的な教育方針をつらぬく」が、校長をはじめ大半の同僚たちは「保守的・画一的な教育をむねと」している。なんだか日本の学園ドラマでもありそうな図式ですな。レビューには書かなかったが、これも後世の作品に影響を与えているのかもしれない。
 ともあれ保守と革新、自由と統制という対立構造があり、それは「さながらキリストと律法学者および一般大衆との関係のようだ」。Miss Brodie はもちろん救世主ではないが、六人の女子生徒にとってはカリスマ的な存在であり、愛弟子のひとりが彼女を裏切り校長に密告した点からしても、本書は明らかに「キリストと十二使徒、そしてユダの物語」を思い起こさせる。
 では「女ユダはだれだったのか。彼女はなぜミス・ブロディを売ったのか」。
 ネタバレにならない程度に「映像化しにくい要素」を紹介すると、Miss Brodie は「自由で革新的」な教育者でありながら、一方、じつはなんとファシズムに傾倒している。[One of her students] recalled Miss Brodie's admiration for Mussolini's marching troops, ... the Brodie set was Miss Brodie's fascisti, ... That was all right, but it seemed, too, Miss Brodie's disapproval of the Girl Guides had jealousy in it, there was an inconsistency, a fault.(pp.31 - 32)
 ほかにも Hitler や(p.97)、the Spanish Civil War の話(p.34, p.118)が出てきたり、「時は1930年代。ファシズムが台頭しつつあり、スペイン内戦も勃発。そんな政治情勢は当初、あくまで時代背景にすぎないと思えたが、じつは、というところがミソだろう」。
 さらにいうと、自由主義全体主義は正反対のもののようだけど、じっさいはそう単純ではない。全体主義は自由を否定するが、自由主義のなかには全体主義を希求する、あるいは許容する自由もふくまれるからだ。
 ベルジャーエフもいっている。「自由は人間を悪に導くことがあるかもしれない。これこそ自由の悲劇というべきであろう。まことに自由は悲劇的である。こうした自由の特質は掟や規範には存在しない。善を選ぶ自由であろうと悪を選ぶ自由であろうと、とにかく自由こそ人間の道徳的生活における本質的条件である」。「悪とは人間の自由に対する最高の試練である」。(『人間の運命』野口啓祐訳)
 むろん "The Prime of Miss Jean Brodie" は自由の本質を本格的に論じた作品ではない。が、自由のもつ an inconsistency, a fault が女ユダ、one of her students の裏切りへとつながったことは間違いない。これはさすがに映像化困難でしょう。(了)