ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Vincent Delecroix の “Small Boat”(2)

 先日、小用で外出。何日かぶりに "Mrs Palfrey at the Claremont"(1971)をバスのなかで読むことができた。相変わらず面白い。
 Mrs Palfrey は老婦人で、夫はとうに他界。スコットランドに住む娘の Elizabeth と別れ、ロンドンの二流ホテル the Clarement に長逗留。
 ほかにも何人か老人、老婦人たちが居住しているが、彼らには面会客がいるのに、Elizabeth の息子 Desmond はロンドン在住ながらいっこうに訪ねてこない。肩身のせまい孤独な毎日を送っていたところ、ある雨の日、外出時に転倒したさい介抱してくれた Ludovic Myers に目をつける。
 Ludovic は自称作家志望のハンサムな貧乏青年で、ホテルで食事ができるなら、と Mrs Palfrey の依頼に応じ、孫の Desmond として面会。彼女は一躍、詮索好きな同宿の老人たちの注目と羨望の的となる。
 とそんな粗筋で、べつになんてことない話なのだけど、Mrs Palfrey と Ludovic はもちろん、脇役陣のキャラクターづくりも秀逸で、ことばの端ばしから、それぞれの人生模様が鮮やかに浮かびあがる。情景描写も簡潔にして雰囲気たっぷりだ。
 一方、 "Bleak House"(1853)は大きな山場を過ぎたところ。大病を患い田舎で静養していた Esther Summerson の前に突然 Lady Deadlock が現われ、Esther の母であることを告白。親娘はたがいに号泣しながらひしと抱きあう。'My child, my child!' she said, 'For the last time! These kisses for the last time! These arms upon my neck for the last time! We shall meet no more. ... '(p.582)
 いやあ、文字どおり愁嘆場ですな。大昔、テレビで見た藤山寛美松竹新喜劇を思い出したが、こちらはもちろん古典悲劇。これを演じきれる女優といえば、母親キャサリン・ヘプバーン、娘オードリー・ヘプバーンでしょうか。

 さて表題作。既報のとおり、残念ながら国際ブッカー賞落選となってしまったが、現地ファンの直前予想では一番人気だった。その人気の理由と、それから敗因についても、ぼくには思い当たるフシがある。
 ただし、ファンのコメントはまったく読んでいないのであくまで臆測だけど、本書は洋の東西を問わず、もはや現代文学ではめったに見かけなくなった道徳劇である。これは当然、加点材料だ。
 道徳劇といっても、さあ、よい子のみなさん、わるい大人にならないよう、一日一善を目標にがんばりましょう、などという勧善懲悪の物語ではない。「死を目前にした救いようのない人びと」にたいし、「『不都合な真実』を告知すべきか、それとも「『白いうそ』(罪のないうそ)をつくべきか」と作者は自問。そして、あなたらどうするか、と読者にも問いかけているのだ。
 医師の場合なら答えは自明だろう。末期がん患者が余命何ヵ月などと宣告される話はよく耳にする。病院では白いうそは禁物のはずだ。
 が、"Small Boat" でフランス沿岸警備隊の女性隊員「わたし」が直面したのは、「ゴムボートでイギリスへ渡ろうとした多数の移民たちが死亡」した海難事故である。イギリス、フランスどちらの領海で漂流がはじまり、最終的にどちらの領海で悲劇が起きたのか。助かる見込みはあったのか、なかったのか。
 隊員は述懐する。I know people would have liked me to say: You're not going to die, I'll save you. ... They wanted me to have said it, at least to have said it, just to have said the words. That was the investigator was waiting for anxiously, for everyone to hear, ... The voice of each of us saying I will save you. Each in my place. The voice of the whole of humanity reassured to hear itself saying, uttering the words: I will save you; you will not die; ... to fail to say those words is to be less than human.(pp. 120 - 121)
 が、はたしてこの白いうそはほんとうに「人道的」なのか、と彼女は、そして作者は真剣に考えている。こんな道徳劇は最近ちょっと読んだ記憶がない。現地ファンがそれをどう評価したかは知らないけれど、ぼくなら座布団一枚ですね。(つづく)