ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Vincent Delecroix の “Small Boat”(3)

 ちょうど一週間前、ある現地ファンのこんなコメントを見かけた。Not really a prediction but a discussion starter to mark 1st June and the official opening of Longlist speculation season. 彼が公開したリストはこうだ。
  “We Pretty Pieces of Flesh” by Colwill Brown
  “Universality” by Natasha Brown
  “Theft” by Abdulrazak Gurnah
  “Our Evenings” by Alan Hollinghurst
  “Saraswati” by Gurnaik Johal
  “Audition” by Katie Kitamura
  “Edenglassie” by Melissa Lucashenko
  “The City Changes Its Face” by Eimear McBride
  “Dream Count” by Chimamanda Ngozie Adichie
  “Nesting” by Roisin O’Donnell
  “Endling” by Maria Reva
  “Flesh” by David Szalay
  “The Book of Records” by Madeline Thein
 今年のブッカー賞ロングリストの発表日は7月29日なので気の早い話のようだけど、いやいや例年どおり、Longlist speculation season の開幕というわけです。ほかのだれかも、「"Endling" はいい」といってましたな(未読)。

 さて表題作、こちらは今年の国際ブッカー賞の最終候補作だけあって、(選考委員諸氏や現地ファンの見かたとは異なるかもしれないけれど)ぼくもそれなりの美点があるものと思う。「死を目前にした救いようのない人びと」にたいし、「『不都合な真実」を告知すべきか、それとも『白いうそ』(罪のないうそ)をつくべきか」。こうした道徳上の難問に正面から取り組んだ作品は昨今希少であり、それだけでもおおいに評価していい。
 ただしもちろん、アプローチのしかたについてはよく吟味しなければならない。いまいちど問題を整理しておこう。「2021年、イギリス海峡で実際に起きた海難事故をもとにした本書では、ゴムボートでイギリスへ渡ろうとした多数の移民たちが死亡。このとき連絡をうけたフランス沿岸警備隊の女性隊員『わたし』は警察から、まず、彼らを救えたのではないか、という判断ミスにたいする法的責任と、ついで、正しい声かけをしたのか、と道義的責任を追求される」。
 判断ミスについては、「イギリス、フランスどちらの領海で漂流がはじまり、最終的にどちらの領海で悲劇が起きたのか。助かる見込みはあったのか、なかったのか」というのが大きな争点で、この答えはわりと早い段階から明示される。
 ところが、担当の女性警部はその答えに満足せず、なんども似たような質問をつづけるため、「いわば堂々めぐり。業を煮やした」彼女は攻めかたを変える。So what did she think she was doing, exactly? Because it really felt to me as though she had overstepped the strict boundaries of a judicial investigation a while back and was now engaged in what looked very much like a moral assessment of my behaviour, of my character, even.(p.54)
 つまり警部は法的責任の追求をなかばあきらめ、矛先を道義的責任にむけている。刑罰を科しえない相手に人格攻撃を加えるのは東洋の島国の大手メディアの専売特許かと思ったら、「神のものは神に、カエサルのものはカエサルに」という西洋でもめずらしくはないのかもしれない。
 それはさておき、ここで移民たちへの同情が働いていることは明らかだ。I know people would have liked me to say: You're not going to die, I'll save you.(p.120)これが「正しい声かけ」であり、それを怠った女性隊員は less than human(p.121)というのが、警察や現地マスコミ、一般ピープルの立場である。これは「人道の美名のもとに法と道徳を混同するヒューマニズムの偽善」以外のなにものでもない。
 とそんなわけで、提示された論点はわりとシンプルなのだけど、p.54からp.121まで、これまた同じような質疑応答や自問自答が再三くりかえされる。これがいけない。むろん即断しがたい問題だけに堂々めぐりになるのは仕方ないとしても、哲学者でもある Vincent Delecroix の思索がそのまま文章化されたのか、やはりくどすぎる。
 道徳劇はいつもこんなパターンになるのだろうか。いや、十九世紀の巨匠たちの作品はちがいまっせ、とぼくは茶化したくなった。(つづく)