外出時、バスの友をどうしようか迷っていたら、新刊ペイパーバックが二冊届いた。今年の国際ブッカー賞受賞作 "Heart Lamp"(2025)と、同じく今年の女性小説賞最終候補作 "Tell Me Everything"(2024)である。
後者はご存じ Elizabeth Strout の作品で、現地ファンのあいだでは以前から同賞レースの一番人気。しかし Strout の作風はおなじみだし、本もやや長い。"Heart Lamp" のほうが短編集なので取っつきやすそうだ。
と思ったら、あいにく "Bleak House"(1853)との併読本としては相性がわるかった。長編なら当初はちんぷんかんぷんでも、少しずつ読んでいくうちに粗筋くらいはわかる。しかし短編となると、モノが短いだけに小刻みでは印象がぼやけてしまう。やはり一気に進んだほうがいい。いきおい、a story a bus ride というわけにはいかず帰宅後も読む。結果、ただでさえノロノロ運転の "Bleak House" がさらにペースダウン。
それでも同書はやっと、あとふつうの長編小説一冊ぶん(たぶん "Tell Me Everything" とほぼ同じ長さ)のところまでこぎ着けた。殺人事件も起こるなど、いよいよ佳境に入り、なんとか遅れを取り戻そうと鋭意努力中。
"Heart Lamp" のほうは、裏表紙の紹介が簡にして要を得ている。In the stories of Heart Lamp, Banu Mushtaq exquisitely captures the everyday lives of women girls in Muslim communities in southern India.
ぼくにしてはめずらしく紹介記事を拾い読みしたわけは、舞台がどこか気になったから。どうやらインドの Muslim communities らしいということはわかったが、既読の短編だけでは southern India とは気づかなかった。
さて表題作、そろそろ落ち穂ひろいもおわりにしなくては。これは要するに、法と道徳、さらには人道のありかたについて思索をめぐらした点で評価できる作品だ。しかし問題点が早々に提示されたあと、その思索が堂々めぐりになり、単調でくどい。この Vincent Delecroix という作家は哲学者でもあるとのことだが、本書では後者の特徴が前面に出すぎているようだ。
堂々めぐりとは、ああでもない、こうでもない、と考えつづけることで、ことに道徳上の難問ほどドツボにはまりやすい。だから Delecroix の思考回路も理解できるのだけど、その回路をありのままに表現したのでは小説としては未熟。自問自答や、相反する価値観の持ち主同士の質疑応答だけでは不十分だ。
後者の場合、淵源のひとつは古代ギリシアのディアレクティケにある。ソクラテスの産婆術だ。問答法、弁証法である。
しかしたとえば "The Last Days of Socrates" など、死刑直前の Socrates の決意を知って深い感銘をうける書物ではあるけれど、残念ながら小説ではない。... death did not matter to me at all ... it mattered all the world to me that I should do nothing wrong or wicked.(Penguin Classics, p.65)
ディアレクティケをいち早く小説化したのは十九世紀の巨匠たちだ。それも(地理的な意味で)東の Dostoevsky、西の Melville にとどめを刺す。"Small Boat" と同じく海が舞台の作品に限定すれば、"Moby-Dick"(1951 ☆☆☆☆★★)、死後出版の "Billy Bud, Sailor"(1924 ☆☆☆☆★★)。とりわけ後者では、ディアレクティケが手に取るようにわかる。
つまり自問自答や質疑応答(内省や会話)だけでなく、価値観の異なる複数の人物をダイナミックに動かし、大きな事件の展開(ドラマ)を通じて問題点を明らかにする。それこそまさに物語性の醍醐味でしょう。
ひるがえって、"Small Boat"(原題 "Naufrage")がゴンクール賞も国際ブッカー賞も獲れなかったのは、せいぜい問題作どまり。物語性が弱い、という点に尽きるのではありませんか。(了)
