今年もこの季節、例によってブッカー賞の動向をチェックしている。いまはレース前につき、各馬ともパドックを周回中だが、ほんとの競馬とちがって出走馬はまだ決まっていない。
ぼくの推計だと、これまで50人くらいの現地ファンが予想リストを公表。東洋の某国文学界では考えられない盛況ぶりで、文化の差としかいいようがない。しかも人気馬はじっさいゲートインすることが多く、早く集計結果を知りたいものだ。
さて同じブッカー賞でも、表題作は international のほうの受賞作。下馬評では下位グループに属し、一番人気は "Small Boat" だった。ぼくの採点は二冊とも☆☆☆★★。が、★は約5点なので若干の幅があり、クビの差で "Heart Lamp" の受賞は順当な結果だと思う。
"Small Boat" は現代文学ではめずらしく道徳上の難問を採りあげたもので、心意気は買えるのだけど、内省と思索が中心で物語性に欠けるのが難点だった。
一方、全12話の短編集 "Heart Lamp" は南インドの農村部が舞台。どの話も「カースト制とイスラム教というふたつの壁」、とりわけ後者をどう乗りこえるか、あるいは回避するか、はたまた壁の前で倒れるか、といったヒネリがおもしろい。
そのヒネリとは、イスラム社会のきびしい現実と、そのなかで徐々に生まれつつある変化とのせめぎあいを意味するものだ。
たとえば『コーラン』では、女性の価値は男性の半分とされ、男性のみ複婚が認められ(四人まで妻帯可)、妻にたいし夫への完全服従をしいている。こうした極端な男尊女卑を描いた一例が表題作で、冒頭、夫が若い乳母を連れて出奔したため、乳飲み子をかかえて実家に戻ってきた Mehrun にたいし、母親は Have patience, my daughter. とだけ告げる(p.102)。As evening started to lose its light, lamps were lit around the house. But the lamp in Mehrun's heart had been extinguished a long time ago. Who should she live for? What was the point? The walls, the roof, the plates, ... - none of these were able to answer her questions.(p.108)Mehrun のおかれた閉塞状況がよくわかる一節だ。
ところが、そんな暗い状況ばかりと思いきや、意外にも女たちが反撃に出ることもある。Just as he [the husband] was struggling up the steps to his house, he saw the blurry sight of Amina with her mother, getting ready to go somewhere. He wiped his sweat, and dry-throated and unable to speak, gestured to ask where to./ 'Where else to?' she exploded. 'I have given you seven [children] already. At last now I am going to get an operation done.'(p.60)an operation とはあの手術ですな。夫が目を白黒させているようすが目にうかび、痛快だ。
ぼくのいちばんのお気に入りは第7話 'High-Heeled Shoe'。義理の姉のハイヒールに魅せられた夫 Nayaz が同じような靴を買いもとめ、身重の妻 Arifa になんとか履かせようとする。Now, when she saw the pointed heels on those shoes, she began to get scared.(p.125)Arifa, the poor thing, still fearing she might slip and fall, limped and began to walk strangely....In the middle of all these worries came a terrible cough that occupied her body and heart for a long time.(p.127)There. When she was stumbling, whether she knew it or not, she felt it getting dark around her.(p.128)ユーモラスであり、もちろんハラハラさせられるシーンだが、これがなんと「親子の感動劇」となる。座布団二枚!
上の「徐々に生まれつつある変化」とは、いうまでもなくフェミニズムであり、女性の人権侵害にたいする抗議活動、女性解放運動である。
とくれば通常、政治的プロパガンダ中心のおカタイ話が連想されるものだけど、上の例のように Banu Mushutaq は(直球勝負のこともあるが)うまくヒネっている。その点が高く評価されたのでは、というのがぼくの勝手な推測だ。
ともあれ、「エリオットによれば、文化とは、宗教とは、ある民族や国民に特有の生きかたである。そしてどんな共同体の『生きかた』にも長所と短所があり、各個人がその『生きかた』と調和・対立するところから、さまざまな悲喜劇が生まれる。この意味で本書はまさに国民文学の佳篇である」。(了)
(夏は怖い話で涼もうと、このところサスペンス系の映画ばかり見ている。『ノーカントリー』のハビエル・バルデム、最高に怖かった)
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