ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Manuel Puig の “Kiss of the Spider Woman”(3)

「あら、おじいちゃん、おひさしぶり。ブッカー賞レースの下馬評どうなってる?」
「先頭グループは相変わらずだけど、3番人気以下が抜きつ抜かれつだね」

    1. Endling by Maria Reva
    2. Seascraper by Benjamin Wood
    3. The Loneliness of Sonia and Sunny by Kiran Desai(or 6)
    4. Audition by Katie Kitamura
    5. Universality by Natasha Brown(or 3)
    6. The Land in Winter by Andrew Miller(or 7)
    7. Flashlight(or 5)

「ふうん、じっさい望遠鏡で追いかけてる馬はあるの?」
「ああ、Audition が最初はミステリアスでよさげだった。でも途中、こむずかしい芝居の演技論がはじまってから眠くなってしまい、いまはひと休みしてるところ」
「ひと休みって、ほんとはけっこう長いんでしょ」
「いやはや、いつもながら鋭いね、サユリ」
「ちょちょっと、いきなり名前を呼ぶなんて、あんたどうかしてるんじゃない。わたしたち、べつにそんな関係じゃないんですからね」
「失礼。なに、先日のつづきをはじめようと思って。ほら、"Kiss of the Spider Woman" で最初は無名の男ふたりの dialogue がつづくのはなぜか」
「ああ、そのうち一方が Molina で、またしばらくして相手が Valentin とわかる。でもふたりとも長いこと、お互いに名前を呼ばないんもんだから、おじいちゃんみたいにダラダラ読んでると、どっちがどっちのセリフかこんがらがってしまう」
「そうそう。ところが終盤になると、Molina, Valentin と呼びあう場面が増えてくる。このプロセス、じつは、ふたりの関係がだんだん親密になっていくことを物語っているんだ。だから、べつに親しくないときは無名で、名前を呼ぶこともない。カッコよくいえば、リアリズムに徹した dialogue なんだよ」
「なるほど。そういうことだったの。よく気がついたわね、テツヤ」
「げっ、それは死んだ元カレでしょ。ぼくはまだ生きてるし、アホヤだし。それなのにそんな名前で呼ぶなんて、よっぽど若いころ見た映画が忘れられないんだね」
「じつはそうなの。わたしときどき、昔の映画といまの現実がごちゃごちゃになってしまうのよ」
「へえ、まさに "Spider Woman" だね。『モリーナは「この映画の話をすると気が滅入る」と嘆き、それを同房の政治犯ヴァレンティンが慰める。これまた現実と非現実が融合した瞬間で』ある、ときたもんだ」
「ふうん、語り口はリアリズムなのに、語られる内容は『現実と非現実との融合』ってわけね」
「ご明察。ほかにもっといい例もあるけど、それは Wiki とか、いろんな解説書に載ってると思うから割愛。それよりこの本には気になることがある」
「え、どんなこと?」
「まあ、簡単にいうと、ラテアメ文学といえば、ぼくが英訳で読んだ作家だけにしぼっても、Márquez, Donoso, Cortazar, Fuentes, Bolano などのほうが、目くるめくようなマジックリアリズムの世界でメチャクチャおもしろかった。そのおもしろさが  "Spider Woman" はイマイチなんだ。最初の the panther woman のエピソードはかなりイケてたけど」
「へえ、なぜかしら」
「そりゃ、ひとつには Manuel Puig が『遅れてきた青年』だからさ。もう書くべきことは先輩たちがほとんど書いてしまい、新風を巻きおこすことはなかなかキビしかったんじゃないか」
「あら、でも Bolano ってたしか今世紀の作家でしょ。新風うんぬんは、作家としての力量の問題もあるんじゃない」

「っていうか "Spider Woman" については素材の問題もある。ラテアメ文学の専門家によると、この話は1930年代の美人女優ヘディ・ラマーをモデルにしたものらしい。だから、現実の地平線を超え、空高くマジックリアリズムの世界へ舞いあがろうとしても、どうしても地平線が見えてしまう」

「ふうん、なんだかわかったような、わからないような。おじいちゃんの話っていつもそうね」
「あはは、本人がいちばんわかってないからね。お粗末さまでした」(了)