ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Kingsley Amis の “Lucky Jim”(2)

 先週末、ドラ娘の発案で『ブラック・ショーマン』を見にいった。封切り二日目とあって館内は盛況。娘も家人も原作を読んでいて、それでもおもしろかったという。

 ぼくもおおいに楽しんだが、犯人がしぼりやすく、以前やはり映画館で見た『マスカレード・ホテル』よりやや落ちるような気がした。が、東野圭吾ファンの家人の見立てでは『ブラック・ショーマン』のほうが上。キャラの彫り込みが深い点を買ったのか。
 さて表題作。これは長年の宿題のひとつだった。初めて "Lucky Jim"(1954)のことを知ったのは学生時代で、あるとき、恩師がふと口にされた。
 それがどんな文脈だったのか、また、先生がどんな評価をされていたのかもまったく記憶にない。ただ、直後に本書を買い求めたことだけはたしかだ。このほど手に取った text が、すっかり黄ばんでしまった1975年版の Penguin Books だからだ。
 買ってすぐに読まなかった理由も憶えていないが、当時はミステリや冒険小説に夢中だったので、ううん、純文学かぁ、と二の足を踏んだのだろう。もっとまじめなものを読め、とべつの恩師からよく叱られたっけ。
 ともあれ半世紀後の宿題達成! 思えばえらく遠いまわり道をしたもんだ。草葉の陰で最初の恩師が、ニヤっと笑っているような気がする。「シチュエーション・コメディの傑作である」。ほう、きみもやっと "Lucky Jim" のよさがわかったかね。
 Kingsley Amis は周知のとおり「怒れる若者たち」の作家のひとりで、Wiki によると、The "angry young men" were a group of mostly working- and middle-class British playwrights and novelists who became prominent in the 1950s. The group's leading figures included John Osborne and Kingsley Amis; other popular figures included John Braine, Alan Sillitoe, and John Wain.
 ぼく自身は大昔、John Braine の "Room at the Top"(1957)をかじり読み。ついで、純文学に凝りはじめた今世紀になって、Alan Sillitoe の "The Loneliness of the Long Distance"(1959 ☆☆☆★★★)を読んだ。

 とそんな不勉強ぶりなので、"Lucky Jim" を読んだからといって angry young men のことがわかった実感はない。
 ただ、"Lucky Jim" はメチャクチャおもしろい。「クライマックスの講演シーンが典型例で、イギリス地方大学の非常勤講師ジム・ディクソンが、恋がたきに殴られ目にあざができた姿で登壇。緊張をほぐすために飲んだウィスキーが災いし、思わず学長や学部長の口ぐせをまねしたり猛烈な早口になったり、あげくのはてに気絶。まさに抱腹絶倒ものである」。
 この笑いがじつは「怒りをこめた笑い」であることは、上のシーンにいたるまでの学長や、学部長、(学部長の娘と交際中の)恋がたきの造型にもしめされている。彼らは要するにスノッブで、しかもスノッブらしく、自分がスノッブだという自覚がない。Longman Dictionary of English Language and Culture によると、snob の定義はこうだ。1 a person who pays too much attention to social class, and dislikes or keeps away from people of a lower class 2 a person who is too proud of having social knowledge or judgment in the stated subject, and thinks that something liked by many people is not good.
 この定義でおもしろいのは、too much attention, too proud という箇所。too がなければ、なんだ、それなら多かれ少なかれ、みんな同じ。万人共通の意識となる。じっさい、Jim は a person who pays more or less attention to social class, and dislikes or keeps away from people of a higher class なのだ。
 上の恩師がまたあるとき、「ぼくもスノッブなのかな」とおっしゃったことがある。
 それを聞いたぼくは、ぼくの畏友の説を紹介し、「いや、スノッブじゃないひとなんてだれもいませんよ」
 すると先生は、ニコッとお笑いになった。
 こうした自覚の有無によってスノッブのあいだに差が生まれ、結果、「いわば高級なスノッブが最低のスノッブをからかう」。それが  "Lucky Jim" のおもしろさのひとつではないか、とぼくは思っている。そしてそれゆえ、本書は刊行後、70年たった今日でも readable なのだ。angry young men の代表作というだけなら、とうに文学史の片すみに埋もれた遺物だったのではないか。(了)