先週金曜日、『あんぱん』がおわった。最初の舞台がぼくの田舎の隣県、高知ということで興味がわき、毎晩録画で視聴。べつにファンというほどではなかったが、つい最後まで見てしまった。
いつだったか途中、今田美桜が『あさイチ』に出演して役づくりの苦労話を披露したことがあり、ぼくはたまたま表題作を読んでいる最中だったので思わず聞きいった。「(無名の)ヒロイン(わたし)は舞台のうえで、同じ人間が演技する自分と演技される自分に分裂する、つまり『同時にふたつのものでありうる』と述懐」。「『わたし』は女優として、自分と役柄とのギャップを埋めるべく悪戦苦闘」。
そんな「分裂感覚」や苦闘は今田美桜にもあったはずだが、最終回直後の『あさイチ』では、彼女がそうしたハードルを超えて朝田のぶ役にハマりきっていたことがうかがい知れ、さすがプロと感心した。(写真は THE NIKKEI MAGAZINE から転載)

俳優ならみんな当たり前の話なんだろうけど、素人にはまずムリ。小学校の学芸会(そんな企画、いまでもあるのかな)で、同級の女の子とお芝居に出たとき、セリフをしゃべりながら、思わず照れくさくなったものです。
"Audition" で着目すべき点のひとつは、「同時にふたつのものでありうる」という二重性が女優の「わたし」にかぎらないことだ。それは、「わたし」の息子であり息子でもない青年 Xavier の二重性、ゆえに「わたし」と Xavier との関係の二重性とも関連している。「こうした二重性は親子のみならず人間全体の本質であり、シャヴィエルと『わたし』の矛盾は、人間が表裏一体の存在であることの象徴とも解釈できよう」。また、「わたし」の「公演ごとに千変万化する演技は不安定な親子関係と一致。いわば小説そのものの構造が表裏一体で、それがまた人間性の二重構造につながっている」。
と、ことほどさように本書では超絶技巧が駆使されているせいか、現地ファンの評価はかなり高い。
1. The Loneliness of Sonia and Sunny by Kiran Desai(or 2)
2. Audition by Katie Kitamura(or 1 ☆☆☆★)
3. Flashlight by Susan Choi(or 4)
4. The Land in Winter by Andrew Miller(or 3)
5. Flesh by David Szalay
6. The Rest of Our Lives by Ben Markovits
なかには Paul Fulcher 氏のように、"Audition" をイチオシ、'and won't read rest.' というひともいるくらい。氏は過去に受賞作をなんどか当てたこともある玄人ファンだが、今回は "Endling"(☆☆☆★★)が 'surely must feature in this year's Booker Prize.' と予想していたのに落選、ひどくガッカリしているようだ。
ともあれ "Audition" も "Endling" も高踏派、芸術派好みの作品だが、単純に物語としておもしろいかどうかとなると意見はわかれるだろう。とりわけ "Audition" の場合、「こうした超絶技巧はおおいに称賛に値するが、描かれている現実は旧知のもので、べつにそんな技巧を弄するまでもない」。
なにが旧知? だって人間の二重性なんて、『ジキル博士とハイド氏』どころか、「人間の本性といっても、そのなかにいかに多くの本性があることだろう」と述べたパスカルの『パンセ』、いやいや、十戒を説いたモーゼの時代からわかりきった話でしょう。「汝、嘘をつくなかれ」。人間がウソをつく生き物だから「ウソをつくなかれ」。ウソをつく悪しき自分と、ウソがわるいと思う善き自分がいるってことですな。(了)