ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Jim Crace の “Being Dead”(1)

 先日、1999年の全米批評家協会賞受賞作、Jim Crace の "Being Dead"(1999)を読了。Jim Crace(1946 - )はイギリスのヴェテラン作家で、代表作は本書のほか、2013年のブッカー賞最終候補作、および2015年の国際IMPACダブリン文学賞受賞作 "Harvest"(2013 ☆☆☆★★)など。遅ればせながらレビューをでっち上げておこう。

[☆☆☆★] 死とはなにか。とそう問うこと自体、多少なりとも精神的、観念的な意味をふくんでいる。が本書の答えはこうだ。「死にはなんの意義もない。それはただ、肉体が朽ち果てることだけだ」。死の問題へのこうした物理的、即物的なアプローチは斬新で、しかも一理ある。考えすぎのひともいるからだ。荒涼とした海岸の砂丘で撲殺された動物学者の夫婦ジョセフとセリース。ふたりの死体が生き物の餌となり腐敗していくようすがネクロフィリアさながら、克明精緻に綴られる。たしかにひとの「死んでいる」姿とは本来、それが自然のありようである。そこにこだわった点が目新しいわけだが、一方、死と対比された生のありようは平凡。ふたりの出会いを描いた過去篇は定番の青春小説で、当日の死にいたる過程や、夫婦と娘シルとの断絶、知らせをうけたシルの反応など、どれも家庭小説でありがちなものだ。「死を背景として、はじめて生を味はふことができる」と述べたのは福田恆存だが、生を背景として描かれた本書の死はけっして味わえるものではない。ジョセフもセリースも崇高な人物ではないからである。みごとな人生を生きた人間の死は、それがどんなにむごたらしい死にざまであってもひとを感動させる。作者はそう思ったことがないのだろうか。