ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Theodor Storm の “Immensee and Other Stories”(2)

 このところ寒暖差が激しく、てきめん絶不調。夜中にぜん息の発作が起こり、おかげで昼間もなんだかボンヤリしている。
 それでも Kiran Desai の "The Loneliness of Sonia and Sunny"(2025)が楽しければ救われるのだけど、あいにくどうも乗れない。彼女がブッカー賞を穫った  "The Inheritance of Loss"(2006)がすばらしかっただけに(☆☆☆☆★)ガッカリだ。
 おまけにデカ本で、持ち運びに不便。たまたま今週末、愛媛の田舎に帰省する予定なのだが、旅行の友にすべきかどうか迷っている。
 そういえば、たしか三年前の秋も帰省し、実家の書斎にのこっていた亡父の蔵書を整理したことがある。ついでにぼくが中高生時代に買った本も片づけているとき、ふと目にとまったのがシュトルムの『みずうみ・三色すみれ』。
 とてもなつかしかった。薄い角川文庫版で、ところどころ挿絵が添えてあり、はじめて読んだときの印象がおぼろによみがえってきた。残念ながら英訳版には挿絵はない。
 マセガキだったころの愛読書のうち、いま思うとややマイナーな作品は、題名を書くだけでも気恥ずかしい。『肉体の悪魔』、『青い麦』、『小説 アルト・ハイデルベルク』、『さすらいの青春』、そして『みずうみ』。
 どれも英訳版を入手しているが、じっさいに読んだのは Alain-Fournier の "Le Grand Meaulnes"(1913, 英訳1959 ☆☆☆☆★)以来、二冊めだ。

 同書の邦訳で比較的入手しやすいのは岩波文庫版『グラン・モーヌ』だと思うが、ぼく自身、愛着があるのは昔の角川文庫版『さすらいの青春』。いまも書棚のすぐ目につくところに架蔵している。リアルタイムで映画版(1967)も見たし、DVDも見た。ヒロインは、『禁じられた遊び』の少女ポーレットを演じたブリジット・フォッセー。

 一方、『みずうみ』のほうは田舎の実家に置きっぱなし。この差はなぜか。
 今回 "Immensee ... " を読んでみてすぐにわかった。インパクトが弱いのだ。
    同じ青春小説でも、"Le Grand Meaulnes" では「幻想小説を想わせる豊かなイマジネーションが働いている」。「道に迷った主人公モーヌがとある屋敷にたどりつき、不思議な舞踏会で美しい少女と出会うくだりは、夢と現実が交錯したような世界の出来事で、ファンタジー史上に残る文学シーンといってよい。同時にそれが、二度と帰らぬ青春時代の象徴にもなっている点がみごと」。
 ところが "Immensee" では、「秋の夕暮れ、孤独な老人ラインハルトが自室で昔の思い出にふける。『エリーザベト!』」。

 とそう拙文の冒頭を引いただけで、おおよそどんな物語かわかってしまう。
 もちろん少年時代のぼくがそんな評価をくだしたはずはない。それどころか読後の感想もあやふやで、ただ、なんとなく胸をかきむしられたような……
 しかしながら、Thomas Mann の "Tonio Kröger"(1903, 英訳1930 ☆☆☆☆★★)にはこんな一節がある。Oh, lovely Inge, blonde Inge of the narrow, laughing blue eyes! So lovely and laughing as you are one can only be if one does not read Immensee and never tries to write things like it.(Vintage, p.88)

 なるほど。若き Tonio Kröger のように、美しい少女に恋い焦がれている少年が読めば、 "Immensee" は胸にグサっと突き刺さってくる作品なのだ。それなのに「なんとなく……」だった当時のぼくは、ま、要するに恋をしていなかったんですなぁ。
 そしていまや前期高齢者の身となり、英訳で読みかえしてみると、「インパクトが弱い」。いやはや、まったく年はとりたくないもんです。(了)