いやはや、この一週間、冥土の旅の三里塚あたりまで出かけていた。
先週木曜日の早朝、右胸に激痛が走り、ぜん息の発作かと思って近くの大病院に急行。いろいろな検査の結果、たしかにぜん息ではあるけれど、高感度トロポニンの数値が高いという。
そこで翌金曜日、血液と心電図の再検査。その結果を受けて医師から、きょうは入院かも、といわれ、思わず「えっ」。やがて超音波検査、CT検査となり、挙げ句の果てに心臓カテーテル手術。翌土曜日の午後まで集中治療室に缶詰めとなった。
入院中、枕元には "The Land in Winter"(2024)を置いていたのだけど、いちど持っただけで手が疲れ、その後まったく読む気がせず、スマホで YouTube ばかり見ていた。テレビもちょっと見たけど、もともと朝昼のご飯どき、ニュース番組やワイドショーを見るだけだったので興味が湧かなかった。
YouTube では最初メジャーリーグ、とくにMVP関連のものだけ見ていたが、そのうち、あることに気がついた。地上波できちんとした服装をして、ことばづかいもフォーマルだった解説者が、YouTube では居酒屋などでラフなかっこうで雑談ふうにしゃべっている。つまりテレビは表、YouTube は裏と使いわけているらしい。その表と裏の関係が野球にかぎらず、ほかのニュース、たとえば時事問題にも当てはまることに気づいたのだ。
具体的にいうと、YouTube のほうが圧倒的に深掘りしている。直近の出来ごとだけでなく、その背景や過去のいきさつ、事件のもつ意味などについて、地上波以上に詳しく、相反する立場を紹介しながらロジカルな解説を試みている。それにひきかえ、地上波では一方的でおおざっぱな感情論が目だつ。以前からわりと感じていたことだけど、こんどの入院生活でよくわかった。
手術中は局所麻酔だったので、「インフレーション……5秒……10秒……デフ」などという医師たちのかわすことばがよく聞こえた。そのたびに脳裡にうかんできたのは、亡父や、施設入所中の母、家人と子ども、孫たちの顔。それから、つい一ヵ月前に帰省して掃除したばかりの田舎の墓。そんな映像の去来していたときが冥土の旅の三里塚くらいだったのか。
さて、ほんとうは一週間前に採りあげるはずだった作品のタイトルが "Being Dead"(1999)。ちょっと出来すぎた偶然ですな。
Socrates は "Apology"(B.C.399ごろ)でこう述べている。to be afraid of death is only another form of thinking that one is wise when one is not; it is to think that one knows what one does not know. No one knows with regard to death whether it is not really the greatest blessing that can happen to a man; but people dread it as though they were certain that it is the greatest evil; and this ignorance, which thinks that it knows that it does not, must surely be ignorance most culpable. ……if I were to claim to be wiser than my neighbour in any respect, it would be in this; that not possessing any real knowledge of what comes after death, I am also conscious that I do not possess it.(Penguin Classics, p.60)
かいつまんでいうと、死後の世界のことはだれもわからない、ということだ。現代なら小学生でもピンときそうな話だけど、歴史上はじめてそう断言したひとは、たぶん Socrates 先生ですな。
では死の直前についてはどうか。上のぼくの「臨死体験」でいうと、もし意識が少しでもあれば、家族や、自分が入る墓のことを思う機会、要は mental な体験である。
一方、表題作では、死の直前および死の瞬間、そして死後の状況について、あくまで physical な観点から書かれている。「死とはなにか。とそう問うこと自体、多少なりとも精神的、観念的な意味をふくんでいる。が本書の答えはこうだ。『死にはなんの意義もない。それはただ、肉体が朽ち果てることだけだ』。死の問題へのこうした物理的、即物的なアプローチは斬新で、しかも一理ある。考えすぎのひともいるからだ」。
きょうは退院したばかりなので、ここまで。(つづく)
