ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

David Szalay の “Flesh”(1)

 ゆうべ今年のブッカー賞受賞作、David Szalay の "Flesh"(2025)を読了。David Szalay(1974 - )はハンガリー系作家としてはじめてブッカー賞を受賞。Wiki によると、Szalay said that he "wanted to write a book that stretched between Hungary and London and involved a character who was not quite at home in either place."
 旧作 "All That Man Is"(2016 ☆☆☆★★★)は2016年のブッカー賞最終候補作だったので、Szalay は今回みごとに雪辱を果たしたことになる。さっそくレビューを書いておこう。

Flesh

Flesh

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[☆☆☆★] ハンガリーの小さな街に生まれ育ち、イラク戦争に参加したあとロンドンに移住、コロナ禍をへて故郷に舞い戻った男イシュトヴァン。そんな履歴をきくと日本人にはおよそ関係のない話に思えるかもしれない。しかしなかには身につまされるひともいるはずだ。イシュトヴァンの決まり文句は「オーケー」。寡黙で自己主張せず、相手の意思や周囲の状況を抵抗なく受け容れ、本質的に希薄な人間関係しか結べない。現代人のひとつの典型的な姿ともいえるのではないか。年上の女に童貞を奪われ、運転手として雇ってくれた実業家の妻に誘惑され、子守の娘や家政婦、ワインバーの女と寝て別れる。一見ドンファンのようだが色好みではなく、むろん恋愛愛情もなく、その場の成りゆきで関係しているだけだ。精神なき形骸、「肉体」とは、いいえて妙のタイトルである。そんなイシュトヴァンでも強い衝動にかられ、ひとり涙を流すことがある。失恋後の志願入隊、自制心の欠如による暴行、亡き妻子への思い。彼の人生で転機となった事件のいずれにも、濃密な人間関係を築けなかったことへの反動、もしくは後悔が、浅いものだが読みとれる。結末が示すとおり、イシュトヴァンは孤独な人間なのだ。ひとと深くかかわりたい気持ちはあっても性格的にそれができない。性格悲劇だったシェイクスピア悲劇とは異なりスケールはいかにも小粒。まさに現代人らしい小人の悲しい人生の物語である。そんな人生に「身につまされるひと」こそいても、深い感動をおぼえる読者がいるとはとても思えない。名作古典の時代は遠くなりにけり。