ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Kiran Desai の “The Loneliness of Sonia and Sunny”(4)

 きょうはクリスマス・イヴ。ぼくも最近はバッハのクリスマス・オラトリオをよく聴いているし、いま流しているBGMもイ・ムジチのクリスマス協奏曲集。

 が、祝祭気分にはほど遠い毎日だ。朝から十種類以上もの薬を服み、今月だけで通院八回。それも内科をはじめ、いろいろな病院・クリニックに行き、お世話にならなかったのは産婦人科くらい(笑)。
 こんなときこそ楽しい本に当たればいいのだけど、あいにく、先日からボチボチ読んでいる Shirley Hazaard の "The Great Fire"(2003)がいっこうに盛り上がらない。裏表紙には an extraordinary love story とあるけれど、いったいどこが extraordinary なのか。そもそもまだ love story ですらない。このイントロ、長すぎまっせ。これでは Hazaard ならぬ hazard ですな。
 表題作も長すぎた。イントロどころか、エンディングにいたるまで「インド人もびっくり」の盛りだくさん。そうなった原因を作者に代わって説明していると思われるのが Sonia で、(2)(3)での引用をくりかえすと、A writer itched and itched to put everything into a book(p.507) Could she write all the love stories she knew?(p.601)
 Sonia はこうも述べている。"I am trying to write a book, in fact," said Sonia.  "but I feel I am circling the story.  I see a glimpse here and there, like a fin, a ripple, but I can't see the whole beast.  I can't put the center in the center.  I wonder if I will have to write all my stories to reveal it."/ "That's a long journey?"/ "Yes. It feels too daunting to even begin."(p.606)
 さらにまた、If she continued to write multiple narratives until the truth of something she wrote became apparent―whatever those narratives may be labeled by others: surrealist, realist, orientalist, occidentalist, fable, legend, nightmare, daydream, myth, satire, kitsch, tragedy, comedy―wouldn't every story become equivalent to every other story?  If the center did not hold, maybe it should not hold. Maybe when reality shifted shape, a writer should let it shift.  If Sonia scattered her being into an ocean of stories, could they, like waves, bring her to another shore?(p.654) 
 ふっ、転記ミスがないようにコピーするだけでも疲れますぅ。ともあれ、以上をかいつまんでいうと、「雑誌記者でもあるソニアのことばを借りれば、作者はむしろ、『あらゆるものを一冊の本にまとめ』、『知りえたあらゆる愛情物語を書きしるし』、『綴ったものの真実が明らかになるまでたくさんの物語を書きつづけ』、『その中心におく基軸』を模索する『長い旅』に出ているのではないか」。
 では、その真実とはなにか。もうひとりの主人公 Sunny はこう語っている。Wasn't it a story that made a journalist, not a journalist who made a story?  Wouldn't a good journalist be able to efface himself, to have no face?  What had been the point of telling his mother that he belonged neither to India nor to the United Staes, stuck in the in-between place where the news disconcertingly mortiphed from one thing into another?(p.666)
 まだまだ先はつづくが、ここも長いくだりなのでハショったけど、とにかくこれを上の Sonia の発言とつなげると、「その旅はおそらく、同じく記者のサニーが述懐しているとおり、アメリカに渡ったインド人が『インドにもアメリカにも属さず、中間地点で立ち往生している』証左でもあろう」。
 つぎに、Sonia と母の会話。(母)"... There is only one that is necessary to solve."/(S)"Loneliness?"/ "The other problems would melt away in importance."(p.660)
 そして巻末、Sonia と Sunny が結ばれる前のことば。If you don't have love, you don't properly exist.  If you don't properly exist, you don't have love.(p.670)
 ぼくのまとめ。「ソニアはサニーの母と会話するうち、この世で『解決すべき唯一の問題は孤独である』と思い知る。そして孤独とは、愛と存在にかかわるもの、と作者はいいたげである。ソニアとサニーの長い旅は、孤独にさいなまれながら愛を求め、アイデンティティを確立しようとする旅だったのだ」。
 やれやれ、さいごは脱兎のごとく大急ぎの結論となりました。現代人の愛と孤独、アイデンティティがテーマだなんて、この長旅、「おわってみれば意外に平凡な道ゆき」でしたね。
 余談だが、Kiran Desai は Dickens の愛読者ではないかと思われるくだりがある。... when Dickens is better than your life, then why live your life?  It would be foolishness not to read Dickens instead.(p.201)
 Sonia の母のことばだが、これも作者の代弁とみていい。ぼく自身は "Bleak House"(1853 ☆☆☆☆★★)しか読んだことがないけれど、なにしろ同書は「チリも積もれば山となり、やがて巨大な山となる。恐るべき細部へのこだわりから生まれた恐るべき集積」である。「インド人もびっくり」の大力作 "The Loneliness ... " にも当てはまる作風だろう。
 ただ、Dickens とちがって Desai のほうは、サスペンスフルなエピソードが少ないうえ、情熱的な盛り上がりにも欠ける。そこで、「ひとつひとつのエピソードはそれなりに読ませ、Dickens を思わせる構成だ」けど、「どうせなら物語性のほうも大家から学んでほしかった」と、ブッカー賞の総括記事でふりかえったわけです。(了)