明けましておめでとうございます。
きょうは仕事始めのひとが多かったはずだけど、年金生活者には無関係。ぼく自身は通院始めだった。今月はあとまだ二回、それぞれべつの病院・クリニックの予約が入っている。やれやれ。
年末年始はもっぱら、過去にアップしたレビューの加筆修正にいそしんでいた。二年ほど前にスタートした作業で、前後の雑感や落ち穂ひろいを参考に2020年代のものから少しずつ手なおし。
だが、なにしろ拙文につき、読みかえすとボロだらけで思うように進まない。なかには、え、こんな本読んだっけ、という場合さえあり、Wiki や Mookes and Gripes の記事を読んでは、ああ、そうそう、と記憶を呼びおこすという体たらく。
それでも昨夏には2011年まで遡上したのだけど、"The Tiger's Wife"(2011)で完全にストップ。いやはや、ヒドさもヒドし。どうにも直しようがなく、放りだしてしまった。
けれども去る十二月、体調も体調だし、そろそろ再開しないと永久に中断したままになりそうと思いたち、いろいろ調べた結果、なんとかでっち上げることができた。
以後、ほぼ順調に進んだが、"C"(2010)でふたたび頓挫。こちらは上よりさらにヒドく、こんなものをよくまあレビューと称して平気でアップしたものだと、われながら呆れ果ててしまった。よって全面改稿。
というわけで読書のほうはさっぱりだったが、それでもきょうはクリニックの待合室、それから診察後スタバで "The True True Story of Raja the Gullible (and His Mother)"(2025)を読んでいた。ご存じ昨年の全米図書賞受賞作である。
これはオモロイ! 受賞直後の記事だったか、チラ見したらゲイの話とあったので、いまやおなじみのテーマ、LGBTQのシリアス路線かと期待していなかったのだけど、なんのなんの、レバノンの初老の男 Raja と、八十歳を過ぎた母 Zalfa のバトルがすさまじい毒舌合戦。☆☆☆★★★は堅いんじゃないか。
おっと、イントロが長くなってしまった。ムリもない。表題作をふりかえるのが億劫だったからだ。ブッカー賞の総括記事から引くと、「どうしてこんな作品が選ばれたのか、のひと言に尽きる」。
選考理由は未読。きっとぼくの気づかなかった美点が挙げられているものと思う。文学にはいろいろな立場があって然るべきで、異論の多い作品ほど、ファンにとってはコアな魅力が感じられるはずだ。そしておたがいに、タデ食う虫も好き好き、とかなんとか罵りあうのだろう。
さて読後一ヵ月あまり、あらためて本書をふりかえってみると、やっぱりいちばん鮮明に憶えているのは第1章だ。十五歳の少年 István が同じ団地の同じ棟に住む中年女、それも母より年上の女に誘惑される。いいですなぁといいたいけど、そう感心するのは「エロおやじだからこそ。女性読者に受けるとはとても思えない。どうでしょうか」。
さらにといえば、István が年老いた富豪のお抱え運転手兼ボディガードとなり、富豪の若い妻から誘惑される場面。あんたも好きですなぁ。
ともあれ「イシュトヴァンの決まり文句は『オーケー』。寡黙で自己主張せず、相手の意思や周囲の状況を抵抗なく受け容れ、本質的に希薄な人間関係しか結べない」。
こんな調子でレビューを引用しつづけるのは気が引けるので、そちらを再アップしておこう。
なお、David Szalay の旧作 "All That Man Is"(2016 ☆☆☆★★★)は2016年のブッカー賞最終候補作だった。「作者は、人生のはかなさと永遠性を同時に見つめている。これはその葛藤から生まれた短編集にして長編小説である」。こっちのほうがぼく好みだったようだ。
未読だが、"Flesh" というタイトルの作品はほかにもあり(1960)、作者はSF作家 Philip José Farmer。SFファンの評価を聞きたいところだ。(了)
(年始はいつもどおり、ヴィヴァルディの「四季」、カルロス・クライバー指揮のニューイヤー・コンサートを聴いていた。なにかのTV番組で「フィガロの結婚」の序曲が流れたのがきっかけで、いまはモーツァルトのオペラ三昧だ)
