ビンゴー・キッドの日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

David Mitchell の “The Bone Clocks”(1)

 David Mitchell の "The Bone Clocks"(2014)を読了。2014年のブッカー賞一次候補作、および2015年の世界幻想文学大賞受賞作である。さっそくレビューを書いておこう。 

The Bone Clocks (English Edition)

The Bone Clocks (English Edition)

 

[☆☆☆★★★] 1984年、ロンドン近郊の町に住む少女ホリーが母親に反抗して家出したときは青春小説。それが2043年、年老いたホリーがアイルランドの港を旅立つ孫娘を見送ったときはSF。この落差はただごとではない。途中、話者が交代、舞台も変化しながら新しい物語がつむぎ出され、それがじつはすべて、ある統一したテーマのもとで密接に結びついている。その構造はさながらジグソーパズルのようで、各ピースを組みあわせる作業にやや忍耐を強いられる。ミステリアスな事件や緊迫した場面に思わず引き込まれるものの、説明不足の状況や退屈なエピソードも散見される。が、そうした瑕瑾を補って余りあるのが、文字どおり時空を超えた壮大なファンタジー。上のような冒頭からは想像もつかない展開で、霊魂不滅、輪廻転生という昔ながらのコンセプトを豊穣なイマジネーションで新たにドラマ化した力業には舌を巻かざるをえない。『クラウド・アトラス』や『ナンバー9ドリーム』など、ミッチェル自身の旧作に登場した人物を再登場させるあたり、彼のメタフィクションの集大成とも言えよう。善玉悪玉がはっきりしているのはいかにも娯楽小説らしく、家族愛を謳うのも定番だが、鬼才ミッチェルはここでは何もかも計算ずくでエンタテイナーに徹しているのではあるまいか。

"The Bone Clocks" 雑感

 このところの急な冷え込みのせいか、ついに風邪をひいてしまった。症状から判断して、たぶんコロナではないと思うけれど、ぼくは微熱でもすぐに頭が痛くなるほうなので万事かったるい。
 おかげで、ボチボチ読んでいた David Mitchell の "The Bone Clocks"(2014)も、さらにペースダウン。あともう少しなのだけど、その少しがしんどい。
 そこできょうは、いままでの流れをちょっと振り返ってみよう。まず、これは周知のとおり2014年のブッカー賞一次候補作である。刊行当時、ぼくは諸般の事情で本ブログを休止していたのだが、それでも本書が大変な評判になっていることは知っていた。
 そこでたしか同年末か、年が明けて入手したところ、届いた本をひと目見ただけで戦意喪失。やけに分厚かったからである。以来積ん読中だったが、たまたま先月読んだ "Number9Dream"(2001)がとても面白かったので(☆☆☆☆)、やっと取り組むことにした。
 いざ読みはじめると、さすがに "Number9Dream" ほどではないけれど、最初はかなり面白かった。Mitchell のものらしくフシギな事件が相次いで起こり、この先いったいどうなるのだろうと期待がもてた。
 ところが、やがてその「フシギな事件」のフシギさぶりが気になってきた。これはどうも、予想していた純文学路線ではなく、エンタメ系のノリではないだろうか。Mitchell の旧作で言えば、"Slade House"(2015 ☆☆☆★★★)に近いけれど、あれとも少しちがうような。はて。
 そこでやおらネットで検索すると、本書は2015年の世界幻想文学大賞受賞作とのこと。いやはや、まったく知りませんでした。周回遅れもいいところですな。
 それにしても、ぼくはつい先日、「Mitchell はミステリなりSFなり、手すさびに大衆娯楽小説を書いても、きっと大傑作をものすることができるのでは」と述べたばかり。昔もどこかでおなじ趣旨の発言をしたおぼえがある。知らぬが仏というわけだ。
 なにはともあれ、本書はどうやら「純文学路線ではなく、エンタメ系」のようである。読めば読むほどそう思えるのだが、そのことをはっきり物語るくだりがここだ。'The Anchorites are abominable. They are vermin.' / 'Their attack persuaded me to help Horology,' says Holly. / 'Good,' says Sadaqat. 'Absolutely. It is black and white.'(p.484)
 もちろん、「純文学だの娯楽小説だの、そんなジャンル分けは無意味。小説には、面白いものと、面白くないものしかない」という立場のひともいることは知っている。ぼくも昔はそう思っていた、思おうとしていた時期がある。
 が、いまはちがう。上のような分類には、両者の特性を知るうえで意味があると思っている。その相違がわかれば、自分の好みもわかる。つまり、自分を知るきっかけになるからだ。
 で、両者をかなり図式的に区別すると、エンタメ系は上のように「黒と白」の世界。純文学にも黒と白はあるが、その黒が白になったり白が黒になったり、混ざりあって灰色になったりする。この現象はむろんエンタメ系にもあり、それが文学的な味わいを生む。が、基本はあくまで黒と白。
 もとより、これだけで十分な目安とは言えないが、少なくとも目安のひとつにはなるはずだ。
 などと、あだしごとを考えながら読んでいると、ますますペースダウン。この "The Bone Clocks"、いまのところエンタメ系のようだけど、最後はどうなるんだろう。

(下は、上の記事を書きながら聴いていたCD) 

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番~第32番

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番~第32番

 

 

Peter Carey の “Oscar and Lucinda”(4)

 Peter Carey の作品を読むのは10年ぶり3冊目。3冊のなかでは本書がいちばん出来がいい。最近 catch up したブッカー賞の受賞作・候補作に目を移しても、面白度という点では "Number9Dream"(☆☆☆☆)といい勝負。そちらのほうがぼく好みだが、本書のほうが面白いというひとがいても決してフシギではない。
 また、文学的にも同書より一枚上だと思う(☆☆☆☆★)。理由はいくつかあるが、まず、これが「オーストラリアの移民、開拓、布教の歴史を織りなす」「国民文学の傑作である」こと。やはりぼくの好みだが、一個人の物語からスタートして国民や民族全体の問題に達する作品については評価が甘くなる。
 むろん、ただそんな問題を扱えばいいというものではない。要は、その扱いかた次第である。
 ぼくはオーストラリアの歴史にかんする知識をほとんど持ち合わせていない。それゆえ、本書で記述されている内容が彼の国の読者にとって先刻承知のものかどうかは判断できない。ただ、たとえばオーストラリア行きの旅客船上で起きた「抱腹絶倒もののドタバタ劇」など、これはやはりフィクションとしか思えない。移住の過程でいろいろな事件があったはずだが、それを知っているひとなら、史実を思い出しながら腹をかかえて笑ったことだろう。
 とはいえ、じつは後半にいたるも評価は☆☆☆☆だった。たしかに「一個人の物語からスタートして国民や民族全体の問題に達」した作品ではあるのだけれど、その問題の扱い方が抜群にすぐれているとまでは思わなかった。
 そこへ「終幕で鮮やかなどんでん返し。これにはアッと驚いた」。
 ネタを割らない程度に驚きの理由を書くと、本書の "Oscar and Lucinda" というタイトルそのものに伏線がある。アダムとイヴの物語に始まり、『ダフニスとクロエ』『ロミオとジュリエット』『ヘルマンとドロテーア』とくれば、ある一定の筋立てを予想するものだ。つまり、「男がいて、女がいる。ふたりはどう結ばれるのか」。それが本書では…
 ほかにも伏線がある。上のドタバタ劇は Oscar が水恐怖症ゆえに引き起こすものだが、ぼくはそれを単に愉快なエピソードとしかとらえていなかった。それがじつは…
 そうした伏線が伏線であったことに気づいたときの衝撃は、まさに驚天動地。しかも、ただビックリしただけではない。よくよく考えてみれば、これはいみじくも「『人生は恐ろしい偶然と必然の結果』という真実」を物語っているではないか。
 あれがこうなり、これがああなり、あそこで彼と出会い彼女と別れ、ここにこうしてぼくがいる。年をとればとるほど、そんな思いに駆られるものだ。途中でどうにかならなかったのか。もちろん、どうにもならなかった。出会いと別れは、いや、そもそも誕生からして自分の思いどおりにはならず、水恐怖症なりなんなり、持って生まれた性格や特徴にしても、死ななきゃ治らない、変わらないのである。
 つまり、本書は「一個人の物語からスタートして国民や民族全体の問題に達」しつつ、ふたたび個人の問題に立ち返っている。人の一生は「恐ろしい偶然と必然」の連続であり、もし運命があるとしたら、運命とはそうしたものだろう。国家の運命もそうだ。コロナ禍ひとつとっても、事件の発端と経緯を振り返れば、彼の国の特殊性、この国の国民性と多分に関係している。
 とそんなことを考えさせるとは、本書のどんでん返しに二度ビックリ。★ひとつ(約5点)追加したゆえんである。

愛媛県宇和島市にあったぼくの生家。再アップ。いまは更地になっている)

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Peter Carey の “Oscar and Lucinda”(3)

 今年のブッカー賞ショートリストは、現地ファンにとって大波乱だったようだ。ちょっと拾っただけでも、こんな悲痛な叫び声が上がっている。'What a mess - this year's booker shortlist is a complete disaster.' 'Wow - I'm in absolute shock.' 'This shortlist, OMG!'
 とりわけ、Hilary Mantel と Colum McCann の落選がとてもショックだったらしい。が、ぼくは今年の Mantel はそれほど高く評価していなかったし、McCann もあちらのレビューから、じつは読むだけ損という気がしていたので、べつに驚かなかった。
 ともあれ、とりあえず人気上位3作だけ注文したところだけど("Shuggie Bain", "Burnt Sugar", "The Shadow King")、面白いことに、なにかのミスで、"Real Life" が受賞という記事(?)がブッカー賞財団のウェブサイトに載っていたらしい(未確認)。ミスにしても前代未聞。いったい賞レースはどうなるんだろう。これ、穴馬くらいにはなるのかな。
 閑話休題。Peter Carey も前から気になっていた作家のひとりだ。が、いままでの彼の印象はあまりよくなかった。まず、まだ同賞の受賞作だけ後追いしていたころに読んだのが、"True History of the Kelly Gang"(2001)。力作だとは思ったけれど、それほど深い感銘は受けなかった(☆☆☆★★)。(レビューなし)。
 つぎに読んだのが、2010年の同賞最終候補作 "Parrot and Olivier in America"。これもイマイチだった(☆☆☆★)。 

 当時はレビューを大手通販サイトに投稿していたのだが(その後削除)、それを読んだらしい有名な某氏が某サイトで、「多くの人が高く評価しているのだから、きっとすぐれた作品なのだろう」と反論。ま、文学にはいろいろな立場があっていいけれど、まったく反論になっていないのは明らかですな。
 10年前の話だが、ここでぼくの立場を説明しておこう。同書の主な舞台は19世紀前半のアメリカ。主人公のひとりは「動乱のつづくフランスを逃れて渡米した青年貴族」。とくれば、いやがおうでもトクヴィルを思い出さずにはいられない。 

アメリカの民主政治』(1835, 1849)が不朽の名著であることは周知のとおりだが、同時代にアメリカの状況を観察したトクヴィルの卓見に対し、"Parrot and Olivier in America" はなにか付け加えるものがあるのだろうか。
 さらに、この時代のアメリカでは、ホーソーン(1804 - 1864)、メルヴィル(1819 - 1891)、エマスン(1803 - 1882)、ソーロウ(1817 - 1862)たちが活躍していたことを考えると、彼らの著作との比較ぬきに論評することは不可能である。つまり、Peter Carey は彼らからも学びえないような要素をなにか指摘しているのだろうか。
 そんな興味からぼくは同書を読んだ結果、「作者の富や自由をめぐる歴史観はあまりに教科書的」と判断。物語としてはけっこう面白かったけれど、どうも底が浅い。そこでへそ曲がりの評価となったわけである。
 ひるがえって、"Oscar and Lucinda" はダンゼン面白かった!(この項つづく)

Peter Carey の “Oscar and Lucinda”(2)

 いよいよブッカー賞ショートリストの発表が迫ってきた(ロンドン時間15日)。何度も書いたが、ぼくは "The Mirror & the Light"(☆☆☆★★)を読んだだけで、ほかの候補作は未読。なにしろ、だれがどう見ても今年最大の興味は、Hilary Mantel が Wolf Hall Trilogy で3作連続、史上初3度目の受賞なるかだろう。
 が、現地ファンのあいだではもっか、同書はどうも3番人気くらい。ほかの有力候補作は人気順に、"Apeirogon"(Colum McCann)、"Shuggie Bain"(Douglas Stuart)、"Love and Other Thought Experiments"(Sophie Ward)、"Burnt Sugar"(Avni Doshi)、"The Shadow King"(Maaza Mengiste)となっている。不勉強につき、McCann 以外は初耳。
 ともあれ、ぼくはいままで高みの見物。おなじブッカー賞でも、今夏は過去の受賞作や候補作をいくつか catch up していた。ここでちょっと振り返ってみよう。
 まず、いちばん面白かったのは "Number9Dream"(☆☆☆☆)。と書いただけで、読んでいる最中、読後の昂奮がよみがえってくる。半沢直樹より面白い!
半沢直樹といえば、「お・し・ま・い Death!」に代表される顔芸が話題になっているが、あれよりぼくは、最近何本か観たベルイマン映画に出てくる顔芸のほうに圧倒された。『叫びとささやき』の赤い溶暗の顔芸にもびっくりしたけど、極めつけは『魔術師』。白黒の画面いっぱいにアップされた顔に、動きはほとんどないのに、役者たちの演じる人物の人生や性格、心理がみごとに映しだされている。ベルイマン・ショットのひとつだろう。下の BOX に『叫びとささやき』と『魔術師』所収)。 

 ほかに読んだ3作には表題作もふくめ、国民文学という共通項がある。"The Famished Road"(☆☆☆☆)はナイジェリア、"Such a Long Journey"(☆☆☆★★)はインド、そして "Oscar and Lucinda"(☆☆☆☆★)はオーストラリアの、それぞれ歴史や文化などを色濃く反映している。こうした作品群を読むと、どうしても彼我の差を感じずにはいられない。べつに大きいことはいいことだとは言わないけれど、日本の現代文学には、少なくともぼくが読んだものには、小さな個人的領域にとどまっている作品が多いような気がする。その領域から、世界の読者に通じるなにかを訴えているものが英訳に値するのかもしれない。(この項つづく)

Peter Carey の “Oscar and Lucinda”(1)

 1988年のブッカー賞受賞作、Peter Carey の "Oscar and Lucinda" を読了。本書は2008年、ブッカー賞設立40周年を記念して企画された the Best of the Booker Prize の最終候補作でもある。さっそくレビューを書いておこう。 

Oscar and Lucinda (Vintage International)

Oscar and Lucinda (Vintage International)

  • 作者:Carey, Peter
  • 発売日: 1997/11/11
  • メディア: ペーパーバック
 

 [☆☆☆☆★] 男がいて、女がいる。ふたりはどう結ばれるのか。骨子としてはそれだけの話かと思ったら、終幕で鮮やかなどんでん返し。これにはアッと驚いた。が、途中の展開ももちろんすばらしい。19世紀中葉、イギリス生まれの青年牧師オスカーがオーストラリア行きの旅客船で、シドニーのガラス工場の女経営者ルシンダと出会う。このすこぶる単純な設定から、それ以前も以後も起伏に富んだ重厚で濃密な歴史小説がつむぎ出される。抱腹絶倒もののドタバタ劇あり、ハートウォーミングな逸話あり、壮絶な対決あり、さまざまなドラマを楽しめるが、これすべて、主役はもとより脇役たちの人生観と性格から必然的に生じたもの。各人物の出し入れが巧妙で、脇役からしっかり固めていくうちに、主役ふたりの人生行路が大きく左右される。オスカーの水恐怖症、ふたりの賭博癖、勘違いに笑わされるうちに予想外の結末を迎えるところは、性格喜劇であり性格悲劇とも言える。そのどんでん返しに、「人生は恐ろしい偶然と必然の結果」という真実を見てとることもできよう。そうした運命の赤い糸がオーストラリアの移民、開拓、布教の歴史を織りなす点、これはまさしく国民文学の傑作である。

Rohinton Mistry の “Such a Long Journey”(2)

 Rohinton Mistry のことは、長いあいだ気になっていた。ぼくがブッカー賞なるものの存在を知ったのは2000年の夏だが、当時はそれほど関心もなく、その後も最新の、あるいは過去の受賞作を読むだけで、候補作にまでは手を伸ばさなかった。
 それでもいつか読もうと思ってたくさん買い漁ったなかに、Rohinton Mistry の本が3冊混じっていた。いずれも同賞の最終候補作で、刊行順に、"Such a Long Journey"(1991)、"A Fine Balance"(1996)、"Family Matters"(2002)である。この3冊をぜんぶ片づけるのに20年近くもかかろうとは、まさに「かくも長き旅」だったと言うしかない。
 ただ、実際その旅に出かけたのは2年前に退職してから。まず手に取ったのが "A Fine Balance"(☆☆☆☆)。 

 ついで、"Family Matters"(☆☆☆★★★)。 

 そして今回の "Such a Long Journey"(☆☆☆★★)。 

 たまたま長いものから順に読んだだけだが、結果的にそれが面白順になっていると思う。
 3作に共通する点は、「さまざまな要素が渾然一体となった狂騒劇」、「市民生活における悲喜劇」だろう。そんな作品はほかにもゴマンとありそうだが、狂騒劇や悲喜劇が、その作家の属する民族の伝統や文化、歴史を物語る国民文学の域にまで達している例は珍しいかもしれない。少なくとも、東洋の島国の現代文学ではなかなかお目にかからないような気がする。いま寝床のなかで(なんと3ヵ月前から)読んでいるのは『みかづき』だけど(もちろん、これは悲喜劇とはべつ系統の作品のようだけど)、森絵都を国民作家と評するひとはいるのでしょうかね。 

みかづき (集英社文庫)

みかづき (集英社文庫)