きょうもまたブッカー賞レースの最新順位から。
1. John of John by Douglas Stuart(22, 22, 22)
2. The Disappearers by Marlon James(20, 21, 20)
3. May We Feed the King by Rebecca Perry(14, 18, 18)
4. The Things We Never Say by Elizabeth Strout(12, 11, 11)
5. The End of Everything by M. John Harrison(5, 6, 9)
6. Black Bag by Luke Kennard(7, 7, 4)
前々回、前回、(n1, n2)同様、現地ファンによる四種類の人気投票の結果を集計したもので(n3)、5,6位が入れ替わり、いま読んでいる "The End of Everything" が追い上げている。ぼくも同書の概要が少しわかってきたところだ。やはり終末テーマのSFといっていいだろう。
英語的にはフツーのレベルだと思うけど、それでも意味不明のくだりが多く当初は四苦八苦したものだが、その箇所を意味不明と感じること自体が正しい理解なのでは、とあきらめると「わかってきた」。
なにやら禅問答のようだが、本書の終末の世界は、登場人物自身にもわけのわからない混沌とした世界である。だから「わからない」と思えば「わかった」ことになる。いやはや、不条理文学もついにここまできたか、と感じている。もちろん、これはとんでもない勘違いの可能性もじゅうぶんあり、あくまで暫定的な結論なのですが。
閑話休題。表題作を読みはじめたとき、これは長丁場になりそうだというイヤな予感がしたが、じっさいそのとおり。なかなかこの一連の駄文がおわりそうもない。
前回までドナルド・キーン、ピーター・J・マクミランの訳書・著書をもとに、芭蕉の「旅の心」について考えてみた。Flanagan 以外の外国人が芭蕉をどうとらえているかを検証することで、Flanagan の芭蕉解釈の「特異性」が明らかになったのではと思う。
今回からいよいよ日本人による芭蕉論の番だけど、これは多すぎて、にわかにぜんぶカバーするのはムリ。乏しい手持ちの資料でお茶を濁すしかない。
まず板野博行の簡単ガイド『眠れないほどおもしろいおくのほそ道』から。「(「野ざらしを心に風のしむ身哉」は)旅を通じて人生の真実を見、それを句として昇華したいという命がけの覚悟を物語っている句だ」。
なるほど。「旅の心」とは、芭蕉にとって「旅を通じて人生の真実を見」いだすことだったのですね。おおいに共感できる説だ。
では「人生の真実」とはなにか。
これは厄介な問題なのでペンディング。それについて考える前に、ふたたび手持ちの資料から、唐木順三の『日本人の心の歴史』(ちくま学芸文庫)を読んでみよう。上巻に芭蕉の話が出てくる。「『風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす』と芭蕉はいつた。造化、天然自然に随順して、造化の四季折々を友とすることが即ち風雅の姿である」。「そして風雅へいたる道は、常に、花、月を思ふことだといふ」。「そして結語として、『造化にしたがひ、造化にかへれ』といふ。芭蕉の風雅は造化にしたがひ、四季折々を友とするところから起る。逆にいへば風雅の根拠は造化とその推移の中にある。造化そのものが風雅なのである」。
ううん、なにやらむずかしいですな。でも、なんとなく、いいたいことはわかる。四季の自然こそ風雅への道ってことかな。
唐木順三はほかにも『中世の文学』で芭蕉を論じているが、それを持ち出すとたいへんなことになるので、きょうはここまで。とにかく、いろいろ調べれば調べるほど、芭蕉の世界が「日本兵および日本人全体を鼓舞するための『かけ声』」から遠く離れたものであることはたしかなようだ。(つづく)
(写真は重巡愛宕のプラモ。ペア写真のうち、上は改修以後で、下は改修以前。艦載機のクレーンの張り綱と空中線の有無で印象が変わったのでは、と自己マン)













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