ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Charlotte Wood の “Stone Yard Devotional”(4)

 先日 "Creation Lake" をやっと読みおえ、毎年恒例のブッカー賞ランキングがほぼ完成。あとは総括のコメントを若干補足するだけとなった。これからしばらく、その下書きのような記事がつづきそうだ。
 まずくりかえしになるが、ぼくの色眼鏡によると、今年はほんとうに不作。ここ何年かで最低の年だったような気がする。ピューリツァー賞のように、受賞作なしという年もあったほうが、よほど良心的なのでは、と思ったほどだ。
 ここで問題は、そんな不作ぶりに「文学の水準低下」が読み取れると仮定して、その原因はなにか、ということだ。
 前回(3)は、「もはや語るべきことは語りつくされてしまった現在、あとは状況と語り口で攻めていくしかない」。そこに一因があるのでは、という月並みな話だった。
 今回もべつに目新しい話題ではない。表題作の無名の語り手「わたし」の「脳裡に去来するのはもっぱら、若い娘時代のつらく悲しい、あるいは苦い思い出だ。亡き両親、とりわけ病没した母」。やがて「わたし」は「修道女たちとの交流を通じて自他それぞれの過去のトラウマと対峙。死別の悲しみはもとより、罪とあやまち、赦しなどに思いをめぐらし人生を検証する」。
 この人生検証、そして肉親の死をはじめ登場人物の過去のトラウマに共感できるかどうか。そこが本書を評価するうえで大きなポイントのひとつだろう、というのがぼくの立場で、結論としては、「あのとき自分はどう生きたか、どう生きるべきだったか。本書はそのことを静かに思い起こさせる佳篇である」。
 ぼくの場合、死別の悲しみはとうに経験ずみだし、「罪とあやまち」となると、これはもう入りたい穴がいくらあっても足りないほど。「あのとき自分はどう生きたか、どう生きるべきだったか」。それを考えるとこんな駄文さえ綴れなくなる。よって、すべて棚上げ。
 というわけで、ぼくは自分の個人的体験からして本書にけっこう共感できたほうである。ゆえに評価も☆☆☆★★。
 が、残念ながら共感以上のものは得られなかった。
 そもそも小説への共感とは、主人公の境遇や価値観、性格、心理・感情、周囲との関係性、ひいては作者の訴えたいことなど、もろもろの要素への sympathy である。この語の定義で小説と関係しそうなのは、Longman Dictionary of English Language and Culture によると、1 sensitivity to and understanding of the sufferings of other people, often expressed in a willingness to give help  2 agreement with or understanding of the feelings or thoughts of other people あたり。
 では「共感以上のもの」とはなにか。簡単な例をあげよう。ぼくたちがシェイクスピア悲劇から得るものは、sensitivity to and understanding of the sufferings ... とか、agreement with or understanding of the feelings or thoughts ... といった次元にとどまるものでは、ぜったいにない。そんな次元をはるかに超えた高みや深みへと読者を引き上げ、引きずりこむもの。それをぼくたちは Captain Ahab や Robert Jordan からも、たしかに感じとったはずなのだ。
 ところが、この "Stone Yard Devotional" にはそれが認められない。そしてこのことは、つまり、たんなる共感の「次元をはるかに超えた高みや深みへと読者を引き上げ、引きずりこむもの」の不在こそ、文学の水準低下のもうひとつの原因なのではあるまいか。
 いやはや、今回も通俗的な素人文学談義になってしまいました。次回は Anne Michaels の "Held" の落ち穂ひろいをする予定。そこでさらに、「共感以上のもの」について考えてみたいと思います。(了)

(米ブルーレイ盤で見た『仄暗い水の底から』、まずまず怖かった)

 

Rachel Kushner の “Creation Lake”(1)

 数日前、今年のブッカー賞最終候補作、Rachel Kushner の "Creation Lake"(2024)を読了。これは今年の全米図書賞一次候補作でもあった。
 Kushner(1968 - )がブッカー賞ショートリストにノミネートされたのは、"The Mars Room"(2018 ☆☆☆★)以来二度目。彼女はロス在住とのことなので、いつかドジャースとその天才選手を扱った作品で三度目の正直といきたいところだ。(以下のレビューは過去記事「2024年ブッカー賞ぼくのランキング」に転載し、本書を第4位に格付けしました)。

[☆☆☆]  ミステリ部分はけっこう面白い。アメリカの中年女性でフリーの秘密諜報員「わたし」が今回は「サディ・スミス」として、南仏の田舎に居住するカルト集団的なコミューンに潜入。ミッションは、巨大地下貯水池の建設に反対する環境運動家たちの動静を監視し、扇動工作によって組織を壊滅へと追いこむことだ。サディは冷静沈着でハニー・トラップを得意とするなど狡知にたけ、濡れ場もありニヤリとさせられる。が、作者はこうしたマタ・ハリの流れをくむスパイ小説に飽きたりず、組織の教祖ブルーノの思想を冒頭から開陳。ブルーノは、ネアンデルタール人ホモサピエンスの比較、人類の進化と文明の進歩、戦争の悲惨、資本主義の功罪などを論じながら、よりよい未来のために現代人が目ざすべき道を模索する。しかし彼自身、「自分の立場を見うしなった」と述懐しているとおり、高尚なトピックスに発展したわりには竜頭蛇尾。主張に説得力がない。エコ・テロリズムエコロジーだけという安易な物語を避けた点は評価すべきだが、作者がここでもし純文学とエンタテインメントとの融合を試みたのだとしたら、その意気やよしと賞賛すべきか、それとも無残な結果におわったことを嘆くべきか。評価のわかれそうな水準作である。

Charlotte Wood の “Stone Yard Devotional”(3)

 本書には前回(2)で挙げたとおり、美点がいくつもある。ぼくの評価も☆☆☆★★。双葉十三郎のことばをもじっていえば、「読んでおいていい作品」だ。
 なかでもコロナ禍をいち早く採りあげ、あの状況の核心のひとつに迫ったことは、現代文学のひとつの生きのこる道をしめすものとして興味ぶかい。
   舞台は、コロナ禍に見舞われたオーストラリアの人里離れた尼僧院。訪れた無名の語り手 I が長らく滞在することに。という設定は、ロックダウン、不要不急の外出禁止(自粛)、在宅勤務などを余儀なくされた、あの「世界総引きこもり」の象徴といってもいいだろう。
 しかし災い転じて福となす。ステイホーム生活だからこそ、なにかできることはないのか、といろいろ模索したひともいたはずで(コロナ禍前からステイホームのぼくはちがうけど)、たとえば藤原正彦は「読書の必要性」を説いていた。
 本離れ、活字離れが嘆かれるようになってひさしいのに、なにをいまさら、とぼくは鼻白んだものだけど、"Stone Yard Devotional" を読んで遅まきながら気がついた。I は「修道女たちとの交流を通じて自他それぞれの過去のトラウマと対峙。死別の悲しみはもとより、罪とあやまち、赦しなどに思いをめぐらし人生を検証する。そう、たしかにコロナ禍とは、『わたし』同様われわれ自身にとっても自分の問題とむきあう絶好の機会だったのだ。あのとき自分はどう生きたか、どう生きるべきだったか」。
 つまり自己検証という、ひょっとしたらカフカカミュ実存主義文学以前からあったかもしれない陳腐なテーマを、コロナ禍という新しい文脈のなかで描きあげる。「新しき葡萄酒は、新しき革袋に入(い)るべきなり」とルカ伝にはあるけれど、「ふるき葡萄酒を、新しき革袋にいれる」ことで、ときには傑作秀作さえ生まれるのが現代文学なのではないか。
 いいかえれば、もはや語るべきことは語りつくされてしまった現在、あとは状況と語り口で攻めていくしかない。とこれまた陳腐な感想ですが、ぼくは本書の読後にあらためて思った。で、その状況と語り口にたよらざるをえないところに「文学の水準低下」が読み取れるのでは、というわけです。いまにはじまった話ではないけれど、今年のブッカー賞レースは受賞作 "Orbital" をはじめ、そのマイナス面が顕著だった。(つづく)

(きょう『グラディエーターⅡ』を見にいった。いままで柳の下の二匹目の泥鰌がとてもおいしかったのは、『フレンチ・コネクション2』と『エイリアン2』。ほかにも何匹かいたようだけど、本作もすごかったです)

2024年全米図書賞発表

 本日(ニューヨーク時間20日)、今年の全米図書賞が発表され、小説部門で Percival Everettの "James"(2024)がみごと栄冠に輝いた。未読の最終候補作もあるが、まずは順当な結果ではなかろうか(☆☆☆★★)。

 既読の最終候補作は Hisham Matar の "My Friends"(2024)で、これも佳篇だった(☆☆☆★★)。

 周知のとおり、この二作は今年のブッカー賞にもノミネート。同賞受賞作 "Orbital"(2023)の出来を考えると(☆☆★★★)、"James" があちらで落選したのも、"My Friends" が同ショートリストにのこらなかったのも奇怪なできごとといわざるをえない。
 その点、全米図書賞(National Book Award)のほうは、おそらく両作品の一騎打ちで、出来はともかく内容的に、いかにもアメリカらしい(national な) "James" がクビの差でゴールイン。結果だけでなく、最終コーナーから順当な賞レースだったのでは、と勝手に臆測している。
 "James" は名づけて『ハックルベリー・フィンの冒険外伝』。おなじみハックが助演にまわる古典の本歌取りで、このアイデアはかなり成功している。しかも、たとえ「名作の換骨奪胎と知らなくても、アメリカにおける人種差別という、もはや文学史的には陳腐とさえいえるテーマから、よくぞこれほど面白い冒険小説を仕立てあげたものと感心させられる」。
 ただ、文学史にのこるほどの傑作名作かと訊かれると、はて。上のレビューともども後日、気になる点をいくつかひろってみたが、

 いまふりかえると、Percival Everett はとにかく芸達者。「多作家らしく手馴れた筆さばき」だけど、いささか器用貧乏のきらいがある。「自由論をはじめ、戦争の大義や、正義と不正義、過酷な二者択一など、明快な答えのない道徳的難問を小出しにしては引っこめるのはいかにも中途半端」だからだ。
 さりとて、そんな難問をひとつひとつ、まともに論じては作品全体のバランスがくずれ、収拾がつかなくなる。深掘りするか、ソツなく仕上げるか、Everett にかぎらず現代作家が頭を悩ませる問題のひとつかもしれない。

Charlotte Wood の “Stone Yard Devotional”(2)

 前回の記事、お気づきでしょうが、要するに「今年のブッカー賞はすこぶる低調だった」、さらには「文学の水準が低下した」というだけで、その原因についてはなにもふれていない。
 これから少しずつ、受賞作・候補作の落ち穂ひろいをしながら考えてみよう。(主観的原因、つまり、ぼく自身の読解・鑑賞力の低下については、とりあえず棚上げ)。
 まず表題作から。読みおえたのは一ヵ月ちょっと前だというのに、暫定ランキングの作成にあたりタイトルを見ても、さっぱり内容が浮かんでこない。拙文を読みかえしてやっと思い出した。
 インパクトが弱い。ま、そういうことだろう。
 なぜ弱いか。コアにあるのがおなじみの話だからだ。
 ただ、共感をおぼえる読者は多いと思う。I used to think there was a 'before' and 'after' most things that happen to a person; that a fence of time and space could separate even quite catastrophic experience from the ordinary whole of life. But now I know that with a great devastation of some kind, there is no before or after. Even when the commotion of crisis has settled, it's still there, like that dam water, insisting seeping, across the past and the future.(p.210)
 catastrophic experience, great devastation とは自然災害や大事故を連想させる文言だが、I の「脳裡に去来するのはもっぱら、若い娘時代のつらく悲しい、あるいは苦い思い出だ。亡き両親、とりわけ病没した母」。I は「修道女たちとの交流を通じて自他それぞれの過去のトラウマと対峙。死別の悲しみはもとより、罪とあやまち、赦しなどに思いをめぐらし人生を検証する」。
 トラウマとの対峙、人生の検証とくれば、これはもう陳腐としかいいようがないテーマだが、本書の場合、いくつかの点で上々の仕上がりだ。
 まず、無名の語り手 I の登場の仕方。これまたパターンどおりだが、うまい。I は「人里離れた(シドニーから遠く離れた平原にある)尼僧院を訪れ、未信者のまま滞在」。当初、I は身分も立場もいっさい不明。やがて「夫と別れ、職を辞した女性とわかるが、詳しい経緯は語られない」。つまり読者の関心をそそるよう小出しに書かれている。
 ついで、途中のツイストがいい。I の苦い思い出のひとつは、高校時代にみんなとクラスメイトをいじめたことなのだが、なんとその相手 Helen が「いまや世界を舞台に活動する修道女となり、『わたし』のいる尼僧院へやってくる」。この Helen は最後、タイトルの Stone Yard Devotinal にからんでくる重要な存在だ。もし Helen が顔を出さなかったら、本書はほんとうに平凡な作品におわったことだろう。
 また本筋以外の状況設定も巧妙。老朽化した尼僧院のあちこちにネズミが出没し、I も修道女たちも文字どおり悲鳴を上げる。コミックリリーフというやつだ。
 状況といえば、本書には新鮮味がある。これはコロナ禍をいち早く題材にした小説のひとつではなかろうか。... now all the other obvious problems were rising up in our minds; the border closures and lockdowns, the travel restrictions and all the rest, ...(p.56)
 ここで上の平凡なテーマが生きてくる。「コロナ禍とは、『わたし』同様われわれ自身にとっても自分の問題とむきあう絶好の機会だったのだ。あのとき自分はどう生きたか、どう生きるべきだったか。本書はそのことを静かに思い起こさせる佳篇である」。
 フーっ、途中だけど、もうくたびれました。おまけに頭が混乱。「インパクトが弱い」といっておきながら、いままでずっとホメ殺し。それがいったいどう「文学の水準低下」と結びつくのだろう。(つづく)

高畑充希、幸あれですな。『DESTINY 鎌倉ものがたり』、わりと面白かった)

 

2024年ブッカー賞ぼくのランキング

 この秋口から喘息、さらには腰痛に悩まされ、超絶不調。なにを読んでいても、ちょっと面白くないなと思っただけで小休止、あげくに大休止。おかげで例年と異なり、ブッカー賞の発表当日になっても私的ランキングを公開できなかった。(そうそう、去年は去年で発表日を勘違いし、公開はやはり後日だった)。
 それでもきのう、やっと今年の受賞作を読みおえ、未読の最終候補作もあと二冊。とりあえず暫定ランキングなら作成できそうだ。(いまチェックすると、去年も完成したのは年末だった)。
 その前にまず、現地ファンの投票結果による最終候補作のランキングを紹介しておこう。
1. James
2. Stone Yard Devotional
3. Orbital
4. Held
5. Creation Lake
6. The Safekeep
 ぼくのランキングも似たようなもので、きょう現在つぎのとおり。(12月9日確定)。

1. James(☆☆☆★★)

2. Stone Yard Devotional(☆☆☆★★)

3. Held(☆☆☆★)

4. Creation Lake(☆☆☆)

5. Orbital(☆☆★★★)

(未読につき番外)

The Safekeep (English Edition)

The Safekeep (English Edition)

Amazon

 4位(11月17日の時点では空白)に入る予定の Creation Lake は先ほど、この記事を書きながら読みだしたところ。まだなんともいえないが、Orbital よりは面白そう。それどころか、もしかしたら、もっと上をねらえるかもしれない。The Safekeep はロングリストの段階から人気薄だったのでパス。
 上のリストを見て率直に思ったのは、「例年、ブッカー賞の低調ぶりを嘆くのは決まりごとかもしれないけれど、今年はほんとうに低調だった」。
 これは2022年の記事からの引用で、同年の1位は☆☆☆★★★。2位が☆☆☆★★で、3~6位は☆☆☆★。

 ついで、「ところが今年は、その去年以上に低調だった」と書いたのが2023年。このときは、1~5位すべて☆☆☆★★。

 してみると、今年はさらに低調だった。そのひと言につきる。ブッカー賞といえば、世界文学の最先端をいく最新最高の傑作・秀作が受賞するもの、というイメージがあるが(ぼくがブッカー賞の存在を知った今世紀初頭の印象)、いまやまるでぼくの体調・老衰ぶりを象徴しているかのようだ。しかし実際はおそらく、文学の水準が低下したのではなく、読み手の側、つまりぼく自身の読解・鑑賞力が落ちたということだろう。
 それでもやはり、文学の水準低下は否めない。一連のブッカー賞関連作品に取り組む前、ぼくはたまたま今年ずっと、十九世紀英米文学の古典巡礼に出かけていた。とそう書いただけで、ぼくのいいたいことが伝わるのではないか。

 読んだばかりの Orbital はさておき、ふりかえると内容を憶えているのは James くらい。ショートリストにはのこらなかったが、My Friends もなかなかよかった。

 その James にしても My Friends にしても、二十一世紀のマイルストーン的な作品とはいいがたい。
 そういえば、ガーディアン紙につづき、ニューヨーク・タイムズ紙も今世紀のベスト100作品を発表しているけれど、なにしろまだ四分の一世紀だ。単純計算で25作品のところ、四倍水増しした結果としか思えない。へえ、アメリカ人はあんな本が好きなんだ、とニヤニヤしましたけどね。
https://www.theguardian.com/books/2019/sep/21/best-books-of-the-21st-century
https://www.nytimes.com/interactive/2024/books/best-books-21st-century.html
 以下、後日この記事に加筆する予定です。

   追記1:12月9日、Creation Lake を4位に格付け。予想どおりの結果でした。

Samantha Harvey の “Orbital”(1)

 チンタラ読んでいた Samantha Harvey の "Orbital"(2023)が今年のブッカー賞を受賞。しぶしぶペースを上げ、やっと読みおえた。さっそくレビューを書いておこう。

[☆☆★★★] 事実は小説よりも奇なりというが、この小説は事実に即して奇なり。フィクションなのかノンフィクションなのか、まことにケッタイな本である。舞台は地球を周回する軌道上の国際宇宙ステーション。六人の宇宙飛行士がながめた地球のようすやステーション内外の活動など、16周する一日の記録が即物的に淡々と綴られる。台風の動きは立体的で興味ぶかく、美しい日の出のシーンにも目を奪われるが、いや待てよ、これならいっそドキュメンタリー映画のほうが、より感動的なのでは。いろいろな実験や観測にしても、科学雑誌ニュートン」の記事でこと足りるはず。いきおい、こうした現象・事実の報告は周回数に反比例して新鮮味をうしなう。一方、飛行士たちをめぐるドラマは皆無。彼らは国籍のちがいこそあれ、任務にたいして平等均一の存在であり、個性に乏しく、たがいの「内面生活への侵入」を禁じられ、ゆえに内的葛藤や価値観の対立など生じるべくもない。神の存在や宇宙の歴史、地球環境の変化、「宇宙船地球号」の乗員としての人類といったテーマが俎上に載ることもあるが、どれも月並みで、しかも深掘りされず、つぎつぎとリレー式に進む点では眼下の景色と変わらない。「事実に即して奇なり」とは、こんな小説もありなのか、という驚きの意であって、内容そのものはケッタイでもなんでもない。日本人飛行士チエと彼女の母のエピソードが心にしみて秀逸。日本の読者にとっては唯一の救いだろうか。