ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Richard Flanagan の “The Narrow Road to the Deep North”(10)

 きょうもまたブッカー賞レースの最新順位から。

  1. John of John by Douglas Stuart(22, 22, 22)
  2. The Disappearers by Marlon James(20, 21, 20)
  3. May We Feed the King by Rebecca Perry(14, 18, 18)
  4. The Things We Never Say by Elizabeth Strout(12, 11, 11)
  5. The End of Everything by M. John Harrison(5, 6, 9)
  6. Black Bag by Luke Kennard(7, 7, 4)

 前々回、前回、(n1, n2)同様、現地ファンによる四種類の人気投票の結果を集計したもので(n3)、5,6位が入れ替わり、いま読んでいる "The End of Everything" が追い上げている。ぼくも同書の概要が少しわかってきたところだ。やはり終末テーマのSFといっていいだろう。
 英語的にはフツーのレベルだと思うけど、それでも意味不明のくだりが多く当初は四苦八苦したものだが、その箇所を意味不明と感じること自体が正しい理解なのでは、とあきらめると「わかってきた」。
 なにやら禅問答のようだが、本書の終末の世界は、登場人物自身にもわけのわからない混沌とした世界である。だから「わからない」と思えば「わかった」ことになる。いやはや、不条理文学もついにここまできたか、と感じている。もちろん、これはとんでもない勘違いの可能性もじゅうぶんあり、あくまで暫定的な結論なのですが。
 閑話休題。表題作を読みはじめたとき、これは長丁場になりそうだというイヤな予感がしたが、じっさいそのとおり。なかなかこの一連の駄文がおわりそうもない。
 前回までドナルド・キーン、ピーター・J・マクミランの訳書・著書をもとに、芭蕉の「旅の心」について考えてみた。Flanagan 以外の外国人が芭蕉をどうとらえているかを検証することで、Flanagan の芭蕉解釈の「特異性」が明らかになったのではと思う。
 今回からいよいよ日本人による芭蕉論の番だけど、これは多すぎて、にわかにぜんぶカバーするのはムリ。乏しい手持ちの資料でお茶を濁すしかない。
 まず板野博行の簡単ガイド『眠れないほどおもしろいおくのほそ道』から。「(「野ざらしを心に風のしむ身哉」は)旅を通じて人生の真実を見、それを句として昇華したいという命がけの覚悟を物語っている句だ」。
 なるほど。「旅の心」とは、芭蕉にとって「旅を通じて人生の真実を見」いだすことだったのですね。おおいに共感できる説だ。
 では「人生の真実」とはなにか。
 これは厄介な問題なのでペンディング。それについて考える前に、ふたたび手持ちの資料から、唐木順三の『日本人の心の歴史』(ちくま学芸文庫)を読んでみよう。上巻に芭蕉の話が出てくる。「『風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす』と芭蕉はいつた。造化、天然自然に随順して、造化の四季折々を友とすることが即ち風雅の姿である」。「そして風雅へいたる道は、常に、花、月を思ふことだといふ」。「そして結語として、『造化にしたがひ、造化にかへれ』といふ。芭蕉の風雅は造化にしたがひ、四季折々を友とするところから起る。逆にいへば風雅の根拠は造化とその推移の中にある。造化そのものが風雅なのである」。
 ううん、なにやらむずかしいですな。でも、なんとなく、いいたいことはわかる。四季の自然こそ風雅への道ってことかな。
 唐木順三はほかにも『中世の文学』で芭蕉を論じているが、それを持ち出すとたいへんなことになるので、きょうはここまで。とにかく、いろいろ調べれば調べるほど、芭蕉の世界が「日本兵および日本人全体を鼓舞するための『かけ声』」から遠く離れたものであることはたしかなようだ。(つづく)

(写真は重巡愛宕のプラモ。ペア写真のうち、上は改修以後で、下は改修以前。艦載機のクレーンの張り綱と空中線の有無で印象が変わったのでは、と自己マン)

 

Richard Flanagan の “The Narrow Road to the Deep North”(9)

 きょうもまずブッカー賞レースの最新順位から。

  1. John of John by Douglas Stuart(22, 22)
  2. The Disappearers by Marlon James(20, 21)
  3. May We Feed the King by Rebecca Perry(14, 18)
  4. The Things We Never Say by Elizabeth Strout(12, 11)
  5. Black Bag by Luke Kennard(7, 7)
  6. The End of Everything by M. John Harrison(5, 6)

 前回(n1, n2のn1)同様、現地ファンによる四種類の人気投票の結果を集計したもの(n2)だが、順位こそ変化はなかったものの、“May We Feed the King” が追い上げている。たまたま手元に届いたばかりなので、いま読んでいる “The End of Everything” のつぎに取りかかる予定だ。
 ただ、同書はぼくにはチンプンカンプンで、なかなか先へ進まない。中断したままになっている “A Brief History of Seven Killings”(2014)ほどではないけれど、やはり意味不明のくだりが多い。
 M. John Harrison(1945 - )はイギリスのSFおよびファンタジー作家で、代表作は “The Pastel City”(1971 未読。『風の谷のナウシカ』に影響を与えたとされる)、“Light”(2002 未読。ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞受賞)、“Nova Swing”(2007 未読。アーサー・C・クラーク賞、フィリップ・K・ディック賞受賞)など。SF関係の手持ちの資料は古いものしかなく、二十世紀のベスト作品リストでは名前を見かけなかった。
 “The End of Everything” もどうやら終末の世界を描いたSFらしいのだが、上の事情でまだ断定はできない。今世紀に上梓されたSFと純文学の融合作品といえば、2004年のブッカー賞最終候補作 “Cloud Atlas”(2004 ☆☆☆☆★)、2019年の同賞受賞作 “The Testaments”(2019 ☆☆☆★★)、2021年の全米図書賞最終候補作 “A Children's Bible”(2020 ☆☆★★★)などがあり、いずれも終末世界やディストピアを扱ったものだ。高名なレビュアー Paul Fulcher 氏や Gumble's Yard 氏などは “The End of Everything” を高く評価している。事実すぐれた作品なのだとしたら、ぼくはもう現代文学にはついて行けないかもしれない。
 などと、まだ微熱がつづきヘコたれている毎日なので、例によって看板に偽りあり。表題作のことは駆け足ですませよう。
 前回は、芭蕉作品の英訳で知られるドナルド・キーンとピーター・J・マクミランの訳書序文を引用し、明言こそされていないものの、彼らが理解している the Japanese spirit とは「静的なもの」ではないか、と述べた。「芭蕉の句を読むと、旅の心は『立ち止まること』であると感じる」(マクミラン)。
 ところが、“Narrow Road” に登場する Colonel Kota と Major Nakamura は、芭蕉の俳句に読みとった the Japanese spirit を泰緬鉄道の建設と重ねあわせ(To the railway, said Colonel Kota, raising his teacup./ ... To Basho! said Nakamura. p.126)、世界征服のための「かけ声」と断じている(the Japanese spirit ...... would from there [Burma] conquer the world. Ibid.)。
 こうした「動的な」the Japanese spirit 自体はべつに奇異な概念ではない。司馬遼太郎はドナルド・キーンとの対話『日本人と日本文化』でこう述べている。「だいたい『日本精神』とかなんとかいって、ひじょうにきわどいようにして言われる、あるいは日本人自身もそう信じているものは、みんなどうやら昭和初年にでき上がったものですね。なんとなく『日本精神』についてものを書いたりしゃべったり、そして軍隊教育が社会に普及したりするのは、昭和初年ぐらいからです」。
 この「日本精神」を「大和魂」といいかえると、司馬の説はぼくにも納得できる。「海の進軍」だったか、とにかく軍歌で聞いたおぼえがあるからだ。日本兵および日本人全体を鼓舞するための「かけ声」である。これはもちろん動的なものだ。
 ここで問題は、こうした動的な the Japanese spirit を Colonel Kota や Major Nakamura のように芭蕉の世界に読みとることが正しい理解なのかどうか、ということである。
 もしかしたら Flanagan は本書の取材中、彼らのような旧日本兵に出会ったことがあるのかもしれない。その可能性はゼロではない。
 とそう百歩譲ったとしても、それは果たして正しい芭蕉解釈といえるのだろうか。ぼくにはやはり、「芭蕉翁も草葉の陰でさぞ目を白黒させているのでは」としか思えないのである。(つづく)

(写真は重巡鳥海のプラモ。こまかいミスはあるものの、いちばん最後に製作したのでいちばん仕上がりがいい。後部マストから艦尾の旗竿に空中線を張っただけで、「らしく」なった。といっても、ネットの写真でみる先輩モデラーたちの完成度にはとうてい及ぶものではない)

 

2026年ブッカー賞ショートリスト発表

 あっ、またやっちまった!
 前回、「ブッカー賞のショートリスト発表まであと一週間」と書いたが、発表日はなんとその二日後だった。それに気づいたのはけさのこと。同じような勘ちがいはこれで二回めだ。
 ともあれ、遅ればせながら現地ファンの下馬評をチェックすると、集計方法によって四つの結果に分かれている。煩雑なので、1位を6点、6位を1点というふうに計算し、それを集計したものがこれだ。(カッコ内は点数)

  1. John of John by Douglas Stuart(22)
  2. The Disappearers by Marlon James(20)
  3. May We Feed the King by Rebecca Perry(14)
  4. The Things We Never Say by Elizabeth Strout(12)
  5. Black Bag by Luke Kennard(7)
  6. The End of Everything by M. John Harrison(5)

 ちなみに、直前予想はこうだった。

  1. The Disappearers by Marlon James(17)
  2. The Renovation by Kenan Orha(15)
  3. Switzy by Emma Cline(14)
  4. May We Feed the King by Rebecca Perry(13)
  5. John of John by Douglas Stuart(9)
     6. Black Bag by Luke Kennard(8)
  ~~~~~~~~~
  7. The End of Everything by M. John Harrison(7)
  11. The Things We Never Say by Elizabeth Strout(3)

 これでみると、泡沫候補だった "The Things We Never Say" の追い上げが目だつ。さすがに Elizabeth Strout は強い。が、ぼくの色眼鏡でみると、2009年ピューリツァー賞受賞作 "Olive Kitteridge"(2008 ☆☆☆☆★)や、2016年ブッカー賞一次候補作 "My Name Is Lucy Barton"(2016 ☆☆☆★★★)にならぶ出来かどうかは怪しい。2022年のブッカー賞最終候補作 "Oh Williams!"(2022)が期待はずれだったからだ(☆☆☆★)。受賞結果が出てから読んでも遅くはないだろう。
 前回も書いたが、ロングリスト発表直後、最初の下馬評で11位だった "The Disappearers" が突然 appear し "John of John" と先頭争いとは、大外からまくっているようなレース展開でおもしろい。
 Douglas Stuart は "Shuggie Bain"(2020 ☆☆☆★★★)以来、二度めの栄冠なるかと期待されるが、これも作風はだいたい想像がつくので、やはり結果待ちでいいかな。
 ぼく自身は、このところ寒暖の差が激しく、また雨の日がやたら多く、てきめん風邪をひいてしまい絶不調。気分がよくなったら、じつは山勘で購入していた "The End of Everything" を読もうと思っている。悪戦苦闘中の "A Brief History of Seven Killings"(2014)にあらためて取り組むのはずっと先になりそうだ。

(高雄型重巡洋艦のプラモ四隻とも完成! 写真上から順に、愛宕、高雄、摩耶、鳥海。製作順にならべた。孫のショウちゃんに「どれがいちばんカッコいい?」と訊くと、「これ」と摩耶を指さした。小学生のころのぼくと同じ感想だ。高雄が『ゴジラ』に出てきたこともちゃんと分かっていた。こんどの新作をいっしょに観にいこうと思っている)

 

Richard Flanagan の “The Narrow Road to the Deep North”(8)

  ブッカー賞のショートリスト発表まであと一週間。現地ファンの最新予想をみると前回から大きな変化はない。The Disappearers は当初の下馬評では11位だったので大健闘。大外からまくっているようなレース展開でおもしろい。

  1, The Disappearers by Marlon James, 17
  2, The Renovation by Kenan Orhan, 15
  3, Switzy by Emma Cline, 14
  4, May We Feed the King by Rebecca Perry, 13
  5, John of John by Douglas Stuart, 9
       6, Black Bag by Luke Kennard, 8
  ~~~~~~~~~
  7, The End of Everything by M. John Harrison, 7
  7, The Shadow of the Object by Chloe Aridjis, 7
  9, The Vivisectors by Missouri Williams, 6
  10, Helen of Nowhere by Makenna Goodman, 5
  11, The Things We Never Say by Elizabeth Strout, 3
    12, The Palm House by Gwendoline Riley, 2
    12, All Them Dogs by Djamel White, 2

 ぼく自身は、このところ毎度おなじみのセリフだが、相変わらず "A Brief History of Seven Killings"(2014)と悪戦苦闘中。いっこうにペースが上がらない。ブッカー賞の受賞作(2015)でなければ、とうの昔に投げ出しているところだ。
 艦船模型のほうはほぼ完成。今回製作したのは重巡摩耶と鳥海で、以前製作済みの高雄と愛宕にも大幅な修正をほどこした。これでやっと「軍国貧乏少年」の夢が叶ったことになる。
 ぼくは小学生のころ、天井の表(裏だけではない!)をネズミが走り、そのネズミをねらってヘビが室内に出てくるような貧乏長屋に住んでいた。
 当然、一ヵ月のお小遣いも微々たるものだ。近所の散髪屋さんで(散髪もしないのに)毎日のように読んでいた月刊「少年画報」や週刊「少年マガジン」などの口絵(たぶん小松崎茂の絵)でみた戦艦大和や零戦の勇姿に心を躍らせたものの、プラモデルは何ヵ月かに一隻、一機くらいしか買えなかった。
 大和や武蔵は人気商品のせいか比較的安かったが、なぜか気になる摩耶や鳥海は玩具店の高い棚に陳列してあり値段も高かった。箱の絵を見あげて思わずため息をついたときのことはいまでもハッキリおぼえている。
 Wiki によると、高雄型重巡洋艦は「第二艦隊のシンボルとも言える存在で、日本海軍最強と謳われた」そうだ。昔はもちろんそんな知識はなかったけれど、絵の大迫力だけは「軍国貧乏少年」の心にしっかり焼きついていた。
 だから長じて太平洋戦争についてもそれなりに関心をもつようになったが、泰緬鉄道のことは名画『戦場にかける橋』を観るまで知らなかった。Wiki で調べたのも表題作の読了後である。
 二度めの引用だが、Richard Flanagan は芭蕉の俳句に読みとった the Japanese spirit を泰緬鉄道の建設と重ねあわせている。To the railway, said Colonel Kota, raising his teacup./ ... To Basho! said Nakamura./ ... In this way, thought Nakamura, the Japanese spirit is now itself the railway, and the railway the Japanese spirit, our narrow road to the deep north, helping to take the beauty and wisdom to the larger world.(p.126)
 Flanagan がいつ、どんなかたちで芭蕉と出会ったのかは知らないが、ドナルド・キーンによる『おくのほそ道』の英訳の初出は1996年なので、これがひとつのきっかけになった可能性はある。
 キーンは序文にこう書いている。「何世紀もの間、日本人の旅行の主要な目的の一つは歌枕を見ることであった。和歌に現れる場所の数々が芭蕉を長い旅に駆り立てたようである。(中略)言うまでもなく、芭蕉は自然の美に非常に敏感であったが、旅の道中出会った人々も温かく描写した。そして、過去は現在にもまして彼と共にあった。俳句や俳文に託したものには、永遠の輝きが秘められている」。
 さらに、ピーター・J・マクミランは『松尾芭蕉を旅する』の「はじめに」でこう述べている。「とりわけ重要なのは、真の旅とは想像力と心の旅なのだということに気づかせてくれることだ。芭蕉は発句を作る際に過去の文学作品を頼りにした。それは、文学の視点を通して世界を捉えることが、人の心の探究の旅へとつながるからだ。(中略)芭蕉の句を読むと、旅の心は『立ち止まること』であると感じる。発句に描かれた多くの瞬間は、立ち止まっているからこそ捉えることができる」。
 日本人学者の説はさておき、こうした外国人による芭蕉解説を読むと、なるほどなあ、よくわかってるなあ、と感心させられる。高校生のころ古典の授業で教わった内容の記憶とみごとに一致しているからだ。
 そしてふたりの文章には明言こそされていないものの、彼らの心に浮かぶ the Japanese spirit のイメージがどんなものかはある程度想像がつく。すなわち、「静的なイメージ」だ。
 ところが、上の引用文で省略した箇所はこうである。that Japanese spirit that was soon to daily travel along their railway all the way to Burma, the Japanese spirit that from Burma would find its way to India, the Japanese spirit that would from there conquer the world.(Ibid.)
 こういう「動的なイメージ」の the Japanese spirit について聞かされた日には、芭蕉翁も草葉の陰でさぞ目を白黒させているのではないかしらん。わしはべつにそんな意図で『おくのほそ道』を書いたわけじゃないぞ!(つづく)

(おととい『オデュッセイア』を観にいった。クリストファー・ノーラン監督作品にしてはすこぶる単純明快で、とりわけ後半が面白かった)

Richard Flanagan の “The Narrow Road to the Deep North”(7)

 おととい、現地ファンによるブッカー賞ショートリスト予想が発表された。まだ一回目の集計なので投票数は少ないが、The Disappearers がいきなり本命に躍り出た以外は、いままでの下馬評とさして変わらないようだ。

  1, The Disappearers by Marlon James, 12
  2, The Renovation by Kenan Orhan, 11
  3, Switzy by Emma Cline, 10
  4, John of John by Douglas Stuart, 9
  4, May We Feed the King by Rebecca Perry, 9
  6, The End of Everything by M. John Harrison, 5
  6, Helen of Nowhere by Makenna Goodman, 5
  6, The Shadow of the Object by Chloe Aridjis, 5
  ~~~~~~~~~
  9, Black Bag by Luke Kennard, 4
  9, The Vivisectors by Missouri Williams, 4
  11, The Things We Never Say by Elizabeth Strout, 2
    12, The Palm House by Gwendoline Riley, 1
    12, All Them Dogs by Djamel White, 1

 ぼく自身は相変わらず、通院時にバスの車内や待合室で "A Brief History of Seven Killings"(2014)を読んでいる。いっこうにペースが上がらない。
 帰宅してもっぱら励んでいるのは艦船模型製作。重巡摩耶・鳥海の0.07ミリの主要な空中線をほぼ張りおえ、おかげでだいぶコツがわかってきた。
 そこで以前製作済みの同型艦、高雄・愛宕にも空中線を張ることにしたのだが、一本張るだけでけっこう神経をつかうし時間もかかる。同じ線をなんども張りかえることもしばしばだ。こんなに凝っても自己マンにすぎないのだけど、とボヤきながら作業をつづけている。
 さて前回の復習。Richard Flanagan は相当な知日派で、泰緬鉄道の建設にたずさわった日本兵のことも冷静にみているが、日本文化への理解には限界があるようだ。
 その限界はもちろん the Japanese spirit の問題とかかわっているので論証が大変。きょうは泰緬鉄道について、前回書きのこした、ちょっとだけ面倒な話をしよう。
 表題作は十年以上も昔のブッカー賞受賞作なので、すでにお読みのかたも多いと思う。で、これはぼくの想像なのだが、本書を読んだときの率直な感想として、え、こんなことがあったのか、日本兵はこんなにひどいことをしていたのか、と驚いた読者がかなりいるのではないか。
 あるいは、これはホントの話なのか、と疑ったひともいるかもしれない。その疑問がファクトチェックにつながるわけだが、これについては前回述べたとおりスルー。
 面倒くさいというのが主な理由だが、じつはそもそもぼくはファクトチェックにあまり関心がない。それは歴史家、専門家の仕事であり、素人には限界がある。素人は学者の書いたものを読んで信じたり疑ったりすることしかできない。
 これは泰緬鉄道にかぎらず、「南京事件」その他の大事件についても同じだ。「南京事件」では「三十万人大虐殺派」と「まぼろし派」で見解がわかれ、たぶんその「中間派」もいるのではと思われるほど議論百出。素人はだれかの説をあと追いするしかない。要は素人には判断がむすかしいので、「南京事件」などとカッコつきで表記した次第。
 そんな素人でも最低限できることがある。一朝有事、いざとなったら自分はどうするか、どうすべきか、なにができるのか、と考えておくことである。
 そのさい、まず肝に銘じておくべきは自分の本質だ。といっても大げさな話ではない。たとえば、ぼくはなにかとっさの場合、「いけんで!」「がいや!」などと叫ぶことがある。どちらもふるさと宇和島の方言で、ほんとうに怒ったり驚いたりしたとき「ダメだ」「ひどい」という標準語はまず出てこない。それがぼくの「本質」だ。
 要するに、よかれあしかれ「地のままの自分」。それをいちばんよく知っているはずの自分が「一朝有事、いざとなったらどうするか」。ファクトチェックはさておき、泰緬鉄道の建設で捕虜に過酷な労働をしいたり、「南京事件」で「虐殺」をおこなったりしたとされる日本兵のように自分もふるまうのか。同様の状況におちいったとき、自分は「どうすべきか、なにができるのか」。
 この問題を考えるとき、自分のアイデンティティ以外に忘れてはならないのが、先輩たちの行動である。
 これには両極端があり、マイナスの例は内村剛介の『生き急ぐ』。終戦後、シベリアに抑留された日本人のあいだで、ほんの少しの食べものをめぐって必死に争ったり、保身のために同胞を密告したりつるし上げたり、マウントを取りあったりする醜悪な姿がまざまざと描かれている。あれも「地のままの」日本人なのだ。

 一方、硫黄島戦で最期まで指揮をとった栗林忠道のような人物もいる。梯久美子の『散るぞ悲しき』や留守晴夫の『常に諸氏の先頭に在り』(慧文社)を読むと、これほどみごとな日本人かいたのか、と心から感動せずにはいられない。(後者はアップできませんでした)。

 この両極をまとめると、「人間は天使でも獣でもない」。本ブログでなんど引用したかわからないパスカルの箴言だが、これを少しもじれば、「人間は天使に近づいたり獣に近づいたりする」。
 ひらたくいうと、ひとはだれでも長所と短所がある。自分の心のなかにはダメな自分と、それをダメと思う自分がいる。さて、「一朝有事、いざとなったら自分はどうするか、どうすべきか、なにができるのか」。先人の例をみて、ときどき考えること。それが専門家の説をあと追いすると同時に、いやその前に素人がやるべき仕事だと思う。(つづく)

Richard Flanagan の “The Narrow Road to the Deep North”(6)

 ブッカー賞レースの展開は前回からまったく変化なし。

  1 or 4. Switzy by Emma Cline
  2 or 1. John of Johnby Douglas Stuart
  3 or 2. May We Feed the King by Rebecca Perry
  4 or 3. The Renovation by Kenan Orhan
  5. The Things We Never Say by Elizabeth Strout
  6 or 9. Black Bag by Luke Kennard
       7 or 6. The Shadow of the Object by Chloe Aridjis

 いま読んでいる "A Brief History of Seven Killings"(2014)もサッパリ進まない。ぼくの口にはどうも合わない作品だ。
 プラモ重巡摩耶と鳥海の製作も進展なし。塗装とサビ入れはおわったのだけど、0.07mmのメタルリギングという、髪の毛より細い金属線を前部マストから後部マストへ張る作業が思ったとおり厄介だ。なんでここまで凝るのか、われながらフシギ。
 閑話休題。今回から表題作の「戦争篇」、泰緬鉄道と the Japanese spirit について考えてみたい。
 まず泰緬鉄道だが、そう聞いてピンとくる日本人はもはや少ないかもしれない。ぼく自身、本書を読むまでは、デヴィッド・リーン監督の名画『戦場にかける橋』に出てきた鉄道ということくらいしか知らなかった。
 そこでしぶしぶ手持ちの太平洋戦争関係の本をパラパラめくり、AIでも検索してみたのだけど、「ファクトチェックが面倒くさそう」という予感どおり、途中でイヤになった。そもそも作者が本書の創作に十二年もかけたというのに、レビューをでっち上げるためにチョコッと調べたくらいで「ファクトチェック」になるわけがない。
 いつかも書いたことだが、AIによると、『戦場にかける橋』の原作者「ピエール・ブールは泰緬鉄道の現地取材をせず、風の噂で聞いた『日本軍が捕虜に大きな橋を架けさせた』というトピックに、自分自身の(親独派のフランス、ヴィシー政権側の軍に捕らえられ、サイゴンの労働収容所で服役したときの)捕虜体験と文学的なフィクションを融合させて物語を作り上げ」たという。
 それが同作におけるファクトチェックだが、これもくりかえしだけど、双葉十三郎(フタバさん)は、ファクトがどうのこうの、という次元とはまったく異なり、純粋にひとつの芸術作品として同作を鑑賞し評価している。
 そんなフタバさんの姿勢は小説を読む場合にも鏡とすべきではないか、というのがぼくの立場だ。
 しかしそれはまあタテマエで、本音は調べるのが面倒くさい。というわけで、"Narrow Road" における泰緬鉄道建設の描写が史実に即したものかどうかはスルー。
 ただ二点、どうしても書いておきたいことがある。きょうはそのうち「面倒くさくない」ほうの話題だけ採りあげよう。
 本書を読めば一目瞭然だが、作者 Richard Flanagan は相当な知日派である。え、そんな俳人がいたのか、そんな句があったのか、とぼくは日ごろの不勉強ぶりをあらためて思い知らされたものだ。
 しかも彼は日本人、日本兵をかなり冷静にみている。マイナス一辺倒の見方の持ち主ではない、という意味では反日ではない。
 その点、某国系作家のなかには、繊細かつ精妙な心理描写を得意とするひとでも、なぜか日本兵のこととなると判で押したように鬼畜扱い。ほかとのあまりの落差にゲンナリさせられる作品がある。
 なぜか、と書いたが、ぼくにはなんとなく理由がわかるような気もするのだけど、邪推かもしれないので公言はひかえておこう。
 ともあれ、Flanagan は日本人のことをよく理解している知日派である。しかしその「理解」にも限界があるのでは、と思えるのが the Japanese spirit の扱いかたなのだ。(つづく)

(おとといブルーレイで『オーケストラ!』を見た。封切り当時、映画館で見て以来二度めだが、メラニー・ロランはほんとうに美しい! ただ、素人目にはわからないけど、プロのヴァイオリニストが見ると、指づかいにちょっと不自然なところがある、と教えてもらったことがある)

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Richard Flanagan の “The Narrow Road to the Deep North”(5)

 ブッカー賞ショートリストの発表が近づいてきた(今月22日)。最新のレース展開をみると5番人気まで前回から変化なし。6着争いが熾烈のようだ。

  1 or 4. Switzy by Emma Cline
  2 or 1. John of Johnby Douglas Stuart
  3 or 2. May We Feed the King by Rebecca Perry
  4 or 3. The Renovation by Kenan Orhan
  5. The Things We Never Say by Elizabeth Strout
  6 or 9. Black Bag by Luke Kennard
     7 or 6. The Shadow of the Object by Chloe Aridjis

 ぼく自身は相変わらず、"A Brief History of Seven Killings"(2014)と悪戦苦闘中。それも通院時、バスの車内や待合室で読んでいるだけで、家では大休止。邦訳の版元によると「歴史的傑作」とのことだが、ボブ・マーリーがモデルという the Singer 暗殺未遂事件のいったいどこが「歴史的」なのか。後半に期待したいところだけど、ちょっとページをひらいただけですぐに飽きてしまう。
 同書の前年のブッカー賞受賞作が表題作だが、問題の the Japanese spirit にふれる前に、もう一回だけ「平和篇」について考えてみよう。
 軍医大佐 Dorrigo Evans は出征前、たまたま出逢った女性 Amy が叔父の妻とは知らず、雷に打たれたように恋に落ちてしまう。The woman with the red flower had walked over to where he stood and now, striped in shadow and light, was standing in front of him.(p.65) Her touch electrified him, paralysed him, and amidst the noise and smoke and the bustle that touch was the only thing he knew.(p.103)
 これが悲恋におわることは設定からして明らかだが、そうとわかっていても小説ファンには目が離せない展開だ。
 ただ、ふたりの出逢いはページ数が示すとおり、わりと話が進んでからの出来ごとである。それまで本書はぼくには少々退屈だった。
 その一因として、人物関係がよくわからなかった。Clever bugger, aren't we? said Amy.  She lay on the hotel room's bed with him ...(p.10) I want you.  Every moment I can have you.  I want you./ ―too many times.  Will you leave Ella?/ Will you leave Keith?(p.14)
 つまり開巻直後で、Dorrigo と Amy はすでに関係している。ところが、Amy の立場が読者に紹介されるのはあとまわし(上のベッドトークのことなど、ぼくはレビューを書くためにメモを読みかえしてはじめて思い出した)。Ella が Dorrigo の婚約者で、Keith が Amy の夫と知らされるのもずっとのちのことだ。
 このように時系列を無視し、人物関係もアイマイのまま物語を進行させる技法がいつ、だれが発案したものかは不勉強で不明だが、とにかく現代小説では定石のひとつといえるだろう。
 だからぼくも読みはじめた当初は、古典巡礼から帰ってきたばかりだっただけに、ああ、いかにも今風だなと思ったものだ。しかしその一方、こうした「アイマイ話法」がまだるっこしく感じられもした。
 十九世紀英米文学の場合、少なくともぼくが読んだ作品ではアイマイ話法にお目にかかったことがない。視点が変化したとき以外、物語はほぼ時系列にそって進み、人物の身分・立場や性格、それぞれの関係もかなり早い段階で明示されている。
 どちらがいいか、はさておき、どちらがわかりやすいかは明らかだろう。本書はオーストラリアでドラマ化されているそうだが(2025 未見)、第1話のシノプシスはこうなっている。In 1940, he [Dorrigo Evans] is a young medical student in Australia who is preparing to ship out to war as a doctor. He asks his girlfriend Ella to marry him. Meanwhile, he meets his uncle Keith for the first time, and discovers he has a beautiful, much younger wife, Amy. 
 ともあれ、こういう技法の変化はもしかしたら小説の sophistication を意味しているのかもしれないけれど、それが同時に evolution であるともいい切れないのは問題だ。本書の前に読んだ "Middlemarch"(1871 - 72 ☆☆☆☆★★)における Dorothea の恋愛事情を、Dorrigo と Amy のそれとくらべると、知的昂奮を呼びさますという意味では圧倒的に前者のほうが上である。
 がしかし、intellect ではなく emotion という点では "Narrow Road" のほうがコーフンさせられるかもしれない。洗練された技巧で感情に訴えかける。まさに当世風ですな。
 以上、まわりくどい話をまとめると、表題作の平和篇、恋愛小説の部分はなかなか面白いけれど、べつに恋愛の問題を深掘りしたものではありません。(つづく)

(ゆうべ『Wの悲劇』をブルーレイでみて、薬師丸ひろ子の熱演にいたく感心した。『病院へ行こう』のコメディエンヌといい、本作のひたむきな劇団研究生役といい、彼女の演技の幅はずいぶん広かったのですね。いま、どうしてるんだろう)