ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

19世紀アメリカ文学

ぼくの古典巡礼(1)

今年は年始からずっと十九世紀の古典巡礼に出かけていたが、さすがに疲れた。先月の Wilkie Collins でしばらくお休みにしよう。 訪れた巡礼地はつぎのとおり。 ぼくが海外の純文学にハマったのは、なんどか書いたが、"Anna Karenina"(1873 ☆☆☆☆★★)を Peng…

Henry James の “The Portrait of a Lady”(3)

このところ、諸般の事情というやつで読書から遠ざかっていた。知的生活としてはもっぱら、いままでアップしたレビューもどきの加筆修正だけ。もっか、2011年の11月までさかのぼったところ。少しは読みやすくなったものと自己マンにひたっている。 それでも先…

Henry James の “The Portrait of a Lady”(2)

やっと落ち穂ひろいをする気になった。「なんという不毛な芸術だろう」と慨嘆したほど好みに合わない作品なんて、思いかえすだけでも億劫だ。 さて、「ヘンリー・ジェイムズはむずかしい」という話を聞いたのは大学生のころだろうか。それまで『デイジー・ミ…

Henry James の “The Portrait of a Lady”(1)

きのうやっと Henry James の "The Portrait of a Lady"(1881)を読了。途中、諸般の事情でなんどか大休止してしまったが、それでも最後は一気に頂上まで駈け登った。さてどんなレビューもどきになりますやら。 The Portrait of a Lady (Oxford World's Cla…

Nathaniel Hawthorne の “The House of the Seven Gables”(3)

先週末、帰省したドラ娘の企画で、劇団四季のミュージカル『アラジン』を観劇。もう何年も前、やはり新橋シアターで観た『キャッツ』よりストーリー性があり、ずっとおもしろかった。 "The Portrait of a Lady" は九合目付近で大休止。おもしろければ急坂で…

Nathaniel Hawthorne の “The House of the Seven Gables”(2)

先週末、亡父の十三回忌で愛媛の宇和島へ二泊三日の帰省旅行。さいわい大きな余震はなかった。立ち寄らなかったが実家のほうも、弟夫婦によると地震の被害はほとんどなかったそうだ。 意外だったのは、ホテルや街なかで外人をけっこう見かけたこと。ロビーで…

Nathaniel Hawthorne の “The House of the Seven Gables”(1)

数日前、Nathaniel Hawthorne の "The House of the Seven Gables"(1851)を読みおえたが、なかなか考えがまとまらなかった。大昔、一部だけ読んだことのある "The Scarlet Letter"(1850)について調べたり、同じくかじり読みしたD・H・ロレンスの『アメリ…

"Moby-Dick" と「闇の力」(了)

たしかにイシュメールは生き残った。これは楽観的かつ強引に解釈すれば、「恐ろしい悲劇から人間が立ち上がる可能性を意味している」。だが、白鯨のほうはどうか。あの巨大な鯨もピークォド号同様、海の藻屑と消えさったのか。今回、本稿を書く前に八木敏雄…

"Moby-Dick" と「闇の力」(20)

イシュメールは「観察者としての役目」を果たすべく、五千年前と変わらぬ人間の永遠の姿を伝えるために生き残った。が、その役目はともかく、一人でも生き残ったことにより、ひとつ明るい意味が生まれている。どんなに恐ろしい流血の悲劇が起ころうとも、人…

"Moby-Dick" と「闇の力」(19)

そしてイシュメールだけが生き残った。なぜか。白鯨の意味と同様、この謎についても昔からいろいろな解釈が試みられてきたはずだが、すべて失念。若い頃に "Moby-Dick" を読んだときもあまり気にしなかった。 そこで今回、八木敏雄訳でエピローグを読み直し…

"Moby-Dick" と「闇の力」(18)

前回ぼくは、ピークォド号が沈んだあとに訪れる「不思議な沈黙」は、戦いの終了によって突然、「闇の力」から解放されたときの虚脱感の象徴だと書いたが、じつは、あの沈黙にはそういう個人的な感覚を超えた意味も含まれていると思う。それを裏づけるのが「…

"Moby-Dick" と「闇の力」(17)

戦いは終わった。エイハブは、イシュメールを除くピークォド号の乗組員もろとも海の藻屑と消えてしまう。だが、白鯨を根元的な悪の存在と見なすエイハブの死は、理想主義の敗北を意味しない。何度も引用するように、エイハブは「おれの至上の偉大さは、おれ…

"Moby-Dick" と「闇の力」(16)

白鯨を根元的な悪の存在と見なし、白鯨を仕留めることでこの世に絶対的正義を確立しようとするエイハブが一瞬、巨大な鯨という壁「の背後には何もないと思う」。白鯨をその白さゆえに、崇高な理想主義的ヴィジョンの象徴と見なすイシュメールも、同じくその…

"Moby-Dick" と「闇の力」(15)

この世で絶対的正義を追求しても、得られるものは相対的正義でしかなく、しかもおびただしい血が流れる。そんなものが果たして正義なのか、善なのか? いやそもそも、絶対的正義なるものは存在するのだろうか。そんな疑念にエイハブが駆られているように思え…

"Moby-Dick" と「闇の力」(14)

白鯨を根元的な悪の存在と見なすエイハブは、悪の根絶、言い換えれば、この世に絶対的な正義を樹立しようというヴィジョンに憑かれている。さような理想主義的ヴィジョンはたしかに美しい。しかし一方、それは必然的に流血の惨をもたらすがゆえに恐ろしい。…

"Moby-Dick" と「闇の力」(13)

エイハブのように、たとえ本人は絶対的な正義を追求しているつもりでも、それはこの世では相対的な正義に変質せざるをえない。それが現実だ。万人にとってひとつの神の正義が確立されたためしはないからだ。そしてその変質の過程で、絶対的な正義は絶対的に…

"Moby-Dick" と「闇の力」(12)

友よ、もし君が(川の)こちら側に住んでいたとしたら、僕は人殺しになるだろうし、君をこんなふうに殺すのは正しくないだろう。だが、君は向こう側に住んでいる以上、僕は勇士であり、これが正しいことなのだ。 パスカルの『パンセ』の一節である。川ひとつ…

"Moby-Dick" と「闇の力」(11)

結局、エイハブは偉大な英雄だったのか、それとも、極悪非道の悪人だったのか。「理性の狂気」という「闇の力」に突き動かされ、絶対的な正義を追求した結果、現実の世界に置き換えれば虐殺をもたらしたという意味では後者である。だが、海の藻屑と消えさる…

"Moby-Dick" と「闇の力」(10)

まあ簡単に言ってしまえば、人間を強く惹きつけ、自己制御が不可能にまでに狂わせる真善美の力、もしくは逆に、真善美を手にいれようとする理性では抑えきれない衝動が「闇の力」なのだと、ぼくは漠然と考えている。ニーチェなら、真善美ではなく「力」と言…

"Moby-Dick" と「闇の力」(9)

いやはや、とんでもない脱線をしてしまったものだ。2週間前に観た『愛の嵐』の感想で、「男と女が結びつくとき、そこには理性では計り知れない闇の力が働くことがある」と書いたのがきっかけで、すっかり「闇の力」のとりこになってしまった。 あの映画には…

"Moby-Dick" と「闇の力」(8)

人が自分の理想を追求すればするほど他人の存在を忘れ、その理想しか見えなくなり、あげくの果てに自分も他人も破滅に導いてしまう。ぼくは昨日、ミルトン・スターンが指摘した「公式」をこのように要約したが、この「理想主義的ヴィジョン」から「自己の抹…

"Moby-Dick" と「闇の力」(7)

「神たらんとした」エイハブが悪魔的な人物と化した理由について考えるには、ミルトン・スターンの指摘が参考になる。スターンによれば、メルヴィルの作品の主要な人物はいずれも「絶対の追求者」であり、その行動にはこんな「一定の公式」が認められるとい…

"Moby-Dick" と「闇の力」(6)

だが一方、「アダム以降の全人類の怒りと憎しみの総計」を白鯨にぶつけたエイハブが「偏執狂のとりこ」となり、「凶暴な狂人ぶりを発揮し」たこともまた事実である。これは、彼が同時に偉大な人間であったことと矛盾しない。白鯨を「根元的な悪の存在」と見…

"Moby-Dick" と「闇の力」(5)

エイハブはとにかく偉大な人間だった。その偉大さは、カリスマ性は、直接的にはもちろん、白鯨と対決することから生まれたものである。人間の力をはるかに上回る相手と戦うことにより、人間そのものの水準が引き上げられたのだ。この点、映画『白鯨』のグレ…

"Moby-Dick" と「闇の力」(4)

エイハブはたしかに「狂的なまでに自分の理想を追求し」、あげくの果てに、乗組員ともども海の藻屑となってしまう。だが、その「破滅」は決して文字どおりの破滅ではない。なぜなら、メルヴィルはエイハブを単なる狂人としては描かなかったからだ。彼に惨め…

"Moby-Dick" と「闇の力」(3)

ぼくはメルヴィルについて考えるのは本当に久しぶりだし、またこの8年ばかり、日本の小説および翻訳にはほとんど接したことがないので、『白鯨』の新訳が出ていることも知らなかった。今日届いた岩波文庫版をぱらぱらめくってみると、たしかにネットの評判…

"Moby-Dick" と「闇の力」(2)

メルヴィルの英語は非常に難解で、その昔、"Moby Dick" も脳ミソをこってり絞りながら読んだ憶えがある。で、昨日引用した箇所にたどりついたときはガクっとしたものだ。今まで白鯨の白さについて、ああだこうだと書いておきながら、その「謎はまだ解かれて…

"Moby-Dick" と「闇の力」(1)

William Maxwell の "The Chateau" は少し面白くなってきたところだが、読了までまだしばらく時間がかかるので、今日は昨日の続きで、メルヴィルを手がかりに「闇の力」について考えてみたい。 といっても、大風呂敷を広げないよう、話を "Moby-Dick" に絞る…

Herman Melville の "Billy Budd, Sailor"

Ivan Doig の "The Whistling Season" は子供の世界を普遍的に再現した少年小説の秀作だが、その感想を書いているとき、同じく少年が主人公でありながら、とてつもない傑作があることを思い出した。メルヴィルの『船乗りビリー・バッド』である。Billy Budd,…