ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Jane Austen の “Emma”(4)

 あっ、パソコンが壊れた!
 と叫んだのは、たしか13日ならぬ5日の金曜日だった。ひさしぶりにデスクまわりを掃除していたら、なにかの拍子にパソコンが前向きに倒れ、液晶画面が文鎮と激突!
 しばらく再起動を試みたものの、素人目にもオシャカになったとわかる。翌日量販店に駆けこんだが、古い型なので修理に出しても代替部品が保存されていないだろうという。しかたなく、買い換えることにした。
 きのうの午後、データ移行済みの新品を持ち帰ってからも四苦八苦。きょうになってもまだ、連絡先のメルアドやお気に入りのサイトを復元できないなど、いくつか不具合の箇所がのこっている。
 というわけで突然やってきたこの「春休み」、災い転じて福となす、読書に専念しようと手に取ったのは Henry James の "The Portrait of a Lady"(1881)。恥ずかしながら、邦訳もふくめ未読でした。
 難解で知られる Henry James、たしかにむずかしい。なにかと首をひねることが多く、「専念」のわりにまだ、終盤の入り口あたり。でも点数はだいたい決まっているし、レビューもどきに使えそうなフレーズも二、三、思い浮かんでいる。
 と、ここまでが新しく綴った駄文で、以下は復元した文面。
 きょうはまず、"Pride and Prejudice"(1813)の落ち穂ひろいの落ち穂ひろいから。モームが選んだ「世界の十大小説」のうち、ぼくが英語・英訳で読んだのは同書で五冊目。邦訳もふくめ相変わらず未読なのは『トム・ジョーンズ』だ。これと合わせ、のこり五冊を英語版で読むのは、大物ぞろいだけにかなりしんどそう。
 なかでもディケンズの長さには、本を見ただけでゾっとする。同じデカ本なら "Bleak House"(1853)に手をつけようかと一瞬思ったけど、やはり腰が引け、三回目の古典巡礼として "Emma"(1815)の旅に出かけることにした。
 三回目ともなると、ぼくなりに古典の読みかたがパターン化してきたようだ。といっても基本は現代文学の場合と変わらない。Let the work speak for itself.  作者の来歴とか創作事情などは、調べるのが面倒くさいので極力無視。もちろん調べたほうが作品の理解には役立つはずだけど、その前にまず、作品に接して自分なりに解釈し、どうにも解釈しきれなくなったところで調べる。なるほど、そういうことだったのか、と納得するほうがいい。
 ここから追加。ううむ、なにを書こうとしてたんだっけ。あとは「ストレート」、「変化球」という単語しかのこっていない。
 あ、そうか、“Pride and Prejudice”が「ストレート」で、“Emma”は「変化球」だという話になるはずだった。そこへ大事件勃発。いやはや、参りました。(つづく)

(「春休み」中は児玉麻里を聴いていた。実際に聴いていたのはアップできなかったけど、キング・インターナショナル盤。いまは入手困難らしい)