ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Jane Austen の “Emma”(1)

 もう何日も前に "Emma"(1815)を読みおえていたのだけど、パソコンにむかうと頭が痛くなるので、きょうまでレビューをでっち上げる気にならなかった。いまもまだ本調子ではない。はて、どうなりますやら。

Emma (Penguin Classics)

[☆☆☆☆★]『高慢と偏見』で文学キャリアの頂点をきわめたオースティンがさらなる高みを目ざし、同書で確立した自身の創作パターンを打ちやぶろうとした野心作。その試みは100パーセント成功しているわけではないが、欠点のある等身大のヒロイン、エマを登場させた一点だけでも世界文学史上、特別な位置を占める名作である。往年の恋愛小説のヒロインといえば、深窓の令嬢が通り相場でエマも例外ではない。彼女はしかし、みずから後悔するとおり「鼻もちならない虚栄心」と「赦しがたい傲慢さ」の持ち主で、それが彼女にとって「至福の結婚」をはばむ主因となっている。メロドラマの場合ふつう、他人の悪意や環境の激変など、もっぱら外的要素が幸福の障害となるものだが、ここではエマが自身の欠点を反省・克服しようとすることでドラマが展開。ほかにも、家族や周囲の人びと、そしておそらく大半の読者の予想に反する人物がヒーローとなったり、エマと深くかかわるカップルたちの結婚もエマの幸福に花を添えたり、はたまた、エマとちがって正真正銘スノッブの女性とエマを対比させたりと、さまざまな新工夫で「自身の創作パターンを打ちやぶろうとし」ている。反面、『高慢と偏見』にあった緊迫の対決シーンが見られないのは、幸福の障害の多くが内的なものだけに当然の帰結としても残念。同書と異なり、いかにもコップのなかの嵐らしい結婚狂騒曲となったが、傲慢と虚栄という現代人にも当てはまる万人共通の宿痾を描いてニューヒロインを誕生させるとは、さすがオースティン、みごとな野心作である。