2015-01-01から1年間の記事一覧
ヴィスコンティの名画のほうは、なんとなく憶えている程度。だからもう一度見直さないと断定はできないが、主人公 Aschenbach が名声を博するに至ったプロセスと、彼が美とエロス、破滅を関連づけて述べた美学論のくだりは、映画ではひょっとしたらカットさ…
Aschenbach が名声を博するに至ったプロセスのほかにもう一箇所、ヴィスコンティの映画ではおそらくカットされているものと思われるくだりがある。死の数日前、彼が夢の中で Phaedrus 相手に美学論をぶつ場面だ。ここもやはり映像では表現しにくいのではない…
Aschenbach は美少年を見かけ、その 'perfect beauty' (p.25)、'the godlike beauty of the human being' (p.28) に胸を打たれる。それが結局、彼の破滅へとつながるわけだが、では彼は最初から至高の美の追究者だったのだろうか。メモを頼りに拾い読みして…
表題作はむろん発表当時 (1911) から名作の誉れが高かったものと思う。が、一般には、ルキノ・ヴィスコンティの名画『ベニスに死す』 (1971) が公開されてから世界的に有名になったのではないだろうか。その中で周知のとおり、マーラーの交響曲第5番第4楽…
Vintage 版短編集の正式なタイトルは、"Death in Venice and Seven Other Stories"。書棚の奥から、もはや入手困難らしい新潮社版トーマス・マン全集を取り出し、第8巻に収録されている短編を数えてみたころ、ぜんぶで32編。そのうち4分の1がこの英訳版と…
そのうちまた現代文学も採り上げる予定だが、今しばらく青春時代からの宿題を片づけないといけない。還暦もとうに過ぎ、お迎えが頭の片隅でちらつくようになったからだ。新聞の訃報記事を見かけると、まっ先に故人の年齢をたしかめる、という話はどこかで聞…
えんえん19回も雑感を書き綴ったおかげで、ようやくレビューらしきものにたどり着けた。われながら浮世ばなれした話だ。またおそらく、現代文学の趨勢とも関係ないだろう(仏語原作は1830年刊)。だが、ぼくにとっては青春時代以来の再々読であり、自分なり…
本書について分析らしきものを始めたとき、まさかこれほど長くかかるとは思わなかった。それだけ内容豊かな小説だということでしょう。世界十大小説の一つという看板に偽りはありません。 さて、Julien Sorel は「公人なのか、それとも私人なのか」。これは…
きょうはまず、何回か前に書いたことの復習から。ニーチェは『悲劇の誕生』でこう述べている。「エウリピデスによって観客なるものが舞台に登場させられた」結果、「悲劇は死んだ!」 アイスキュロスやソフォクレスの場合、悲劇は高貴な人物の没落や偉大な英…
Julien Sorel が tragic hero と言えるかどうかという問題を考えているとき、ふと思い出したのが、かの有名な『ロミオとジュリエット』。もちろん "The Red and the Black" と同じく、恋愛がテーマだからである。ネットで検索してみると、シェイクスピアのい…
Julien Sorel は死に臨んで人間的な弱みを見せるものの、それは Renal 夫人への思い、彼女との別れがもたらす内心の葛藤である。死そのものを本当に恐れているわけではなく、「自分が破滅へ向かうと知りながらその運命を選び、死を回避する手段を提示されな…
Julien Sorel は tragic hero なのか。そろそろこの問題に決着を付けようと思ってきのう拙文を書きはじめたのだが、はたと指が止まってしまった(昔なら、「ペンが」でしょうな。「指が」は日本語として定着しているのかしらん)。決め手は Julien がいかに…
さて、ニーチェや Steiner の言う悲劇の意味を確認したところで、Julien Sorel の人物像について改めて検討してみよう。 まず、彼の出自は賤しい。貧しい材木屋の息子で、'a man on the lowest level of Society' である。この点では明らかに tragic hero の…
若い頃、ニーチェの著作は白水社版の全集で何冊か、まめにノートを取りながら勉強したことがある。が、『悲劇の誕生』は中公版〈世界の名著〉で読んだだけで、そのうち勉強しなければと思っているうちに、夢のようにざっと40年が過ぎてしまった。 そこで、あ…
書棚の奥から George Steiner の "The Death of Tragedy" を引っぱり出してきたのも40年ぶりくらいだろうか。ついでに、学生時代に下線を引いたところを少しだけ拾い読みしてみた。今さら言うまでもなく、不朽の名著である。死ぬまでに完読しなければ、と思…
Mathilde はなぜ16世紀後半と自分の時代を較べたのだろうか。前回からどうも気になったので、メモを頼りに本書を拾い読みしたところ疑問は氷解。1574年、La Mole 家の先祖 Boniface という若い貴族が英雄的な行動を取った末に斬首され、それが時代を経たのち…
「教育の普及は、浮薄の普及也」とは明治の文豪、斎藤緑雨の有名な言葉で、のちに福田恆存も論文のタイトルに援用したことで知られる。緑雨はその言葉に続けて、「文明の齎す所は、いろは短歌一箇に過ぎず」と書いている。ひょっとしたら、「文明の発達は浮…
Mme de Renal と Mathilde を較べてみると、「人は性格が異なれば恋愛の仕方も異なるもの」と思い知らされる。若い頃のぼくは気がつかなかったか、まるで関心もなかった常識である。あまりにも当たり前すぎて、おもしろくも何ともない、というのが大人の感想…
さて、Mathilde にかかわる「対比の構造」をもう少し探ってみよう。 まず Julien との恋だが、じっくり読めば読むほど、人は性格が異なれば恋愛の仕方も異なるものだ、という当たり前のことを改めて思い知らされる。いや、「当たり前のことを改めて」なんて…
この連休を利用して郷里の愛媛県宇和島市に帰省。つかのまではあったが、ざっと40年ぶりの田舎の秋を満喫してきた。とりわけ、秋になると、ここはこんな景色に様変わりするのか、という意外な発見が楽しかった。 読書も同じことで、40年ぶりに "The Red and …
主人公 Julien Sorel にかんする対比は、だいたい今まで報告したとおりである。では、彼がのちに 'You must know that I have always loved you, that I have never loved any one but you.' (p.514) と告白することになる、いわば永遠の恋人 Mme de Renal …
本書はなにしろ名作中の名作である。ぼくがここで書いていることなど、世界文学ファンなら先刻承知の常識ばかりだと思うが、ざっと40年ぶりに読み返してみると、例によって不勉強のぼくには意外な発見があり、なかなかおもしろい。 たとえば、タイトル以外に…
Julien Sorel はナポレオンに心酔し出世を夢見る野心家で、プライドもすこぶる高い。が一方、Mme de Renal との出会いの場面からわかるように、うぶで shy、純情な青年でもある。こうした彼のキャラも対比の一例である。 これに対し、彼を家庭教師に雇った市…
読みはじめてふとタイトルを見ると、"Chronicle of 1830" という副題がついていた。なるほど。まことにお恥ずかしい話だが、ぼくは中学、そして大学時代の記憶から、本書が恋愛小説だとばかり思っていた。いや、恋愛小説には違いないのだが、より正確には「…
ざっと40年ぶりに、今度は英訳で取りかかった本書だが、ぼくにしては珍しく大筋を憶えていた。主人公はジュリアン・ソレルという美青年で、彼はまずレナール夫人という美しい女性に恋をする。次に、貴族の娘でこれまた美女のマチルドと恋仲になる。それから…
このところずっと、夏に読んだ "Klingsor's Last Summer" のおさらいをしていたが、じつはその一方、Stendhal の "The Red and the Black" をボチボチ読んでいた。ご存じ世界十大小説のひとつに数えられる名作中の名作である。 これは、ぼくが英語で読みレビ…
実際に読んだのは去る8月だが、その後、メモを頼りに拾い読みした結果、なんとかレビューらしきものが書けそうな気がしてきた。がんばれや!(郷里の宇和島弁) ※ぼくが読んだペイパーバック版は表紙をアップできなかったので、別の版のものを掲示した。た…
死期の迫っていること気づいた人間が死を恐れ、死を忘れようとして陽気にふるまい、何かに熱中する。考えてみれば当然の話である。が、本編を初めて読んだ当時、中1坊主だったぼくは、きっと思いもよらなかったのではないか。ただなんとなく、「年を取って…
これもすっかり失念していたことだが Klingsor は画家で、42歳の夏、訪れたイタリアの風光明媚な田舎町で精力的に絵を描きつづける。かたわら、複数の女性をふくむ友人たちと旧交を温め、やがて美しい娘を見そめる。……ざっとこんなものかな、『クリングソル…
表題作を読みたくて取りかかった本書だが、夏休みのメモを頼りに改めて拾い読みしてみると、意外なことに、文学的に深いテーマが汲みとれるのは巻頭の短編 "A Child's Heart" と、次の中編 "Klein and Wagner"。それにくらべ、お目当ての『クリングソル』は…