ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Aravind Adiga の "The White Tiger"(結び)

 本当は読了したばかりの Tatiana de Rosnay の "Sarah's Key" について書きたいのだが、行きがかり上、"The White Tiger" の話を今日こそ締めくくらないと。
 この本の主人公は、今でこそ富裕層に登りつめているものの、元々は貧民で運転手兼召使い。いわゆる社会的弱者である。そんな人間を描くとき、その欠点には目をつぶるか、それが社会体制や社会的矛盾の所産であるかのように考えている作家がいる。簡単に言えば弱者を善人として扱うわけだが、弱者も神ならぬ人間ゆえ、当然、人間的な欠点を持っている。それはどんな体制であろうと変わらないはずだ。 
 その点、Adiga の描き方はきわめてまともである。「同じ下層民同士なのに、足の引っ張り合いがあったり嫉妬が渦巻いていたり」、また主人公が「富裕層に接することで」「願望、羨望、欲望の数々」をむき出しにする。しかも、それが決して露悪趣味ではなく、ブラック気味ながら「真情のこもったファース」の中で示される。それゆえ、その「こっけいでもあり哀れでもあ」る姿に「魅了される」のだ。
 しかし一方、「きわめてまとも」な扱い方なので、新しい発見はない。なるほど、人間にはこんな面があったのか。しかし言われてみれば、たしかにそのとおり、というような知的興奮を覚えることはない。最初から「どこかで読んだことがあるような話」という印象を受けるのも、本質的な原因はその点にある。よくできてはいるが、型どおりなのだ。
 これが資産家の描写となると、ますます「型どおり」である。特権階級のほうが横暴で気まぐれで、政治家や警察と馴れあったりする話は、「どこかで読んだことがある」どころか、それこそうんざりするほど読んできた。たしかにインドが舞台ということで多少目新しさはあるが、それだけのことだ。「個人を超えつつむ問題に発展する度合い」があまり「明確ではない」のもそのせいである。
 要するに、「よくできてはいるが、型どおり」。これが「はて、この程度で受賞かと、いささか拍子抜けしてしまった」最大の理由である。ブッカー賞受賞作というからには、たとえば "The Inheritance of Loss" のように、人間とは、一個人を超えた国家や民族の運命に巻きこまれ、またその運命を体現するものだ、といった人間に関する真実を描くことで知的興奮を与える作品であって欲しい…などと、マイナーなブログで書いても仕方がないか。