ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

『赤い風船』

 正月3日目はクラウス盤でウィンナー・ワルツを聴いた。

シュトラウス・ファミリー・コンサート Vol.1

シュトラウス・ファミリー・コンサート Vol.1

シュトラウス・ファミリー・コンサート Vol.2

シュトラウス・ファミリー・コンサート Vol.2

 これは正月に限らず、BGMとして流していることが多い。何かの本に「仕事が快調に進む曲」と書いてあったからだが、たしかにテンポがよくて爽やか。まさに「音楽」そのものだ。
 終日ぼんやりしているうちに、早くも夕食。アルベール・ラモリス監督の『赤い風船』を見た。 これは去年の秋、銀座のシネスイッチで上映していた。そんな映画館が山野楽器の裏にあることを友人に教えてもらったのも昨秋で、さっそくネットで検索したら、この映画をやっていた。よし見に行こうと思って時間を調べると、朝の10時上映のみ。それでも出かけるのが本当の映画ファンというものだが、ぼくはミーハーに過ぎないので諦めた。
 いつも思うのだが、文化的にはやっぱり、日本では東京が最高。本もCDも今でこそネットで買うようになったけれど、ひと昔前までは、東京まで出かけないと手に入らないものが多かった。こと映画となると、やはり映画館で見るべきものなので、朝の10時に銀座と知ってためらう街に住んでいるのが恨めしい。
 それならいっそ、山奥の村に住むのもいいな、と思ったりする。おととしの夏、郷里の友人にドライブに連れて行ってもらったとき、え、こんな山奥に!というようなところに人家があり、おばさんたちが木陰で涼んでいた。あの村に生まれていたら、今ごろどんな人生を送っているのだろう。
 …などと、この映画は、あだしごとを連想させる作品である。ひとことで言えば映像詩。赤い風船が目にしみる。風船がなぜか少年と友だちになり、その「友情」に心を打たれる。最後に風船が割れてしまったときは切ない気分になったが、赤い風船の「死」を知って、ほかの色とりどりの風船が集まってくるシーンで救われた。まさに映像でしか表現できない世界だ。