ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"2666" Part 2 雑感(2)

 多忙につきカタツムリのペースになってしまったが、何とか第2分冊の半分までたどり着いた。全体としてもやっと半分を超えたところ。やはりこれは大変な作品である。
 この第4部はミステリというかクライム・ノヴェル風なので、Kate Atkinson の "When Will There Be Good News?" のときと同様、どこまでネタをばらしていいか迷ってしまう。ともあれ、メキシコのサンタテレサで連続殺人事件が発生。被害者は女性ばかりで、とりわけ工場で働く若い娘が多い。十代の女の子もかなりいて、猟奇犯罪の様相を呈している。
 が、通常のミステリ、たとえば『羊たちの沈黙』や『検屍官』のようなサイコスリラーとは異なり、犯人は誰かという興味はあまり湧かない。むしろ、これほど多くの女性が次々に殺されていく物語で作者 Roberto Bolano はいったい何を言おうとしているのか、そちらのほうが気になってくる。これもはたして「人間の、人生の諸相をいろいろなアプローチで描き出そうとしている」一環なのか。犯人とおぼしき人物が逮捕されたくだりまで読み進んだので、今後の展開が楽しみだ。
 以上を基調として、第3部までに頻繁にあった視点の変化が本章でも見受けられる。とりわけ面白いのは、事件を「心の目で見る」女性占い師の哲学的瞑想。正確には占い師が読んだ本の話なのだが、トランス状態で紹介されるので誰の瞑想なのか混乱してくる。こういうエピソードを単なるダイグレッションと片付けていいのかどうか。これも「人生の諸相」の一部としての意味があるような気もする。
 それからもちろん、事件を捜査する側の視点も変化する。犯人らしき人物を逮捕したヴェテラン警部をはじめ、まだ十代の新人警察官、新聞記者…。いつのまにか中断してしまった「教会冒瀆事件」を捜査した警部。そういえば、その警部と精神病院の女院長の関係も気になる。
 …などなど、とにかくまだ半分しか読んでいないので、全体はおろか、この章の目鼻さえついていない。ボケ気味のせいもあるだろうが、わけの分からない面白さ、これこそ小説の醍醐味である。