ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"2666" Part 2 雑感(4)

 いよいよ第3分冊に取りかかったところだが、その感想の前に第2分冊、第4部の続きを書いておこう。
 縦糸は大量連続殺人事件だが、真相を明かされてもべつに意外な気はしなかった。たしかに被害者の数は異常に多い。が、その犯行を生んだものは「現象として存在する事実ではあるけれど、それが人生の根本問題とかかわりがあるとはどうも思えない」。ひょっとして、Roberto Bolano はメキシコ社会の暗部を描きたかったのだろうか。第5部で真相がさらに示されるかもしれないので断定は避けるが、その「暗部」にしても、人間そのものの暗黒面とは思えない。
 このパートの白眉はむしろ、縦糸のあちこちに入り混じる横糸のほうだろう。警部と精神病院の女院長との関係のように、中には尻切れトンボになってしまったエピソードもあるが、主筋に変化を添えるだけの間奏曲というより、主筋を忘れて思わず読みふけってしまうほど面白い「ダイグレッション」もある。
 典型例は後半になって登場する女性国会議員の話で、幼なじみの女友だちとの交流は最後に主筋と混じるものの、単独の物語としても充実している。同僚や上司とは別の角度で事件を眺める新人警官の話もそうで、彼の家族の歴史は主題と重なる部分もあるが、その歴史を読むと、縦糸の事件の真相以上に呆然となってしまう。ほかにも、事件を「心の目で見る」女占い師や、刑事犯罪の講演に当地を訪れたFBI元捜査官の話など、後半ほど複数の視点が交錯して面白い。
 意外だったのは、第1分冊第3部の続きがなかったこと。あそこで連続殺人事件のイントロがあったのに、結局、あの話も尻切れトンボだったことになる。が、どうやらロベルト・ボラーニョは、本書のあらゆるエピソードを全体の中で明確に位置づけ、そのひとつひとつに整合性を与えようとしているのではないようだ。ちょうど第4部で「ジグソーパズルでも解くように事件の全貌が次第に見えてくる。パズルのピースがぜんぶ与えられるわけではないが、それでも全体像は読める」ように、本書全体についても、断片的に与えられた手がかりを元に主題を推測するしかないのかもしれない。