ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"The Glass Room" 雑感

 今年のブッカー賞最終候補作のひとつ、Simon Mawer の "The Glass Room" に取りかかった。ロングリストの段階では泡沫候補だったのに、発表直前のオッズでは、受賞した Hilary Mantel の "Wolf Hall" に次いで2番人気に躍り出た作品である。まだ半分足らずしか読んでいないので断定はできないが、これは今のところ、先週読んだ J.M. Coetzee の "Summertime" よりずっといい。"Wolf Hall" の受賞は妥当かなという気もするけれど、個人的な趣味だけ言えば、むしろこちらのほうにぼくは惹かれる。
 主な舞台は1920〜30年代のチェコ。自動車会社の若き社長 Viktor が Liesel と結婚、新婚旅行先のヴェニスでウィーン在住の建築家 Rainer と出会い、新居の建築を依頼。できあがったのはガラスをふんだんに使った会社のビルを思わせるモダンな家で、中でも仕切壁がシマメノウの「ガラスの部屋」は光に満ちあふれ、希望と合理主義を象徴するような空間だった。…というハッピーな時代を描いた序盤はごく普通の展開。ただ、やがて何かとんでもない事件が起こったことがプロローグからわかるので、二人の幸福にいつどんな形で影が差すのだろう、と興味深く読める。
 その影は二方向からやってくる。ひとつはドイツにおけるナチスの台頭。Liesel はアーリア人だが Viktor はユダヤ人。Viktor はナチスの脅威を敏感に察知し、早い段階から対策を講じはじめる。というわけで、本書は大ざっぱに言えばナチス物にふくめていいかもしれない。ナチズムの根源を追求するような深い作品ではないが、あの時代の異様な冷たい空気がすっと流れてきて、次第に緊張感が高まってくる。
 あとひとつはメロドラマ的要素で、Viktor は Rainer と打ち合わせのため訪れたウィーンで若い女 Kata と出会う。Kata はお針子だが、ときどき生活費を稼ぐために売春をしている。二人は当初、たまに会うだけの関係だったが、やがてお互いに心から惹かれるようになり…。ぼくはメロドラマが大好きなので、こういう展開はまったく目が離せない。とりわけ、Viktor が Kata の安アパートを初めて訪れ、彼女に幼い娘がいるとわかったときはグッときてしまった。
 その Kata もユダヤ人。ナチス党員による暴行事件が頻発するようになったオーストリアを脱出、運命のいたずらで Viktor の家に子供の養育係として住みこむ、というところまで読み進んだが、この先まだまだ大波乱がありそうだ。とにかく、読めば読むほど夢中になってしまう本である。