ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Paul Auster の “Winter Journal” (2)

 うかつなことに、しばらく読み進んでからやっと本書が小説ではないことに気がついた。新刊ニュースを知ったとき、もし自伝だとわかっていたら予約注文はしなかったかもしれない。ぼくはべつにオースターの熱心なファンというわけではなく、彼がどんな人生を歩んできたのかほとんど興味がなかったからだ。いや、オースターにかぎらず、そもそも作家の自伝なんて読もうと思ったためしがない。
 それゆえ、本書を読みおえた今も、その中身が実際にあった出来事なのかどうかについてはまったく関心がない。たぶん事実なんだろうなとは思うけれど、べつにフィクションが多少混じっていてもいっこうにかまわない。それどころか、小説オタクとしては、むしろそのほうがありがたい。自伝小説というジャンルだってあるくらいだから。そう思って検索してみたら、やっぱり memoir となっていた。
 ただし、詳しい分析は省くが、「その構成はすこぶる小説的と言ってよい」。また、年代順ではないが、中に一部クロニクル風のところがあり、オースターが今まで住んだ家やアパートなどが次々に紹介される。その住居の記録に、貧乏なフリー記者だったころのエピソードも出てくる。理知的な抑制された語り口ではあるが、そこに何やら〈静かな熱気〉がこもっていて、ぼくは大昔、"Moon Palace" を読んだときのことを思い出した。あれもけっこう〈熱い小説〉ではなかったっけ。
 それから、小説そのものではないにしても「すこぶる小説的」ということで、去年のブッカー賞受賞作、Julian Barnes の "Sense of an Ending" も思い出した。どちらも「主人公」の老人が自分の人生をふりかえるというものだからだ。ジャンルは異なるが、両書とも未読なら、とくにぼくのようなジッチャン、バッチャン世代なら、ぜひ併読したいところである。ふむふむ、なるほどなるほど、と思い当たるフシが多々あることだろう。
 本書ではとりわけ、オースターが現在の妻 Siri Hustvedt と出会ったときのくだり (p.198) にぼくは惹かれた。理想的な出会いだが、ひるがえってぼくは、だからあのときダメだったんだな、と大いに納得。気づくのが遅すぎました。