ノーベル賞作家 J. M. Coetzee の最新作、"The Childhood of Jesus" をボチボチ読んでいる。例の Man Booker Prize Eligible 2013 のリストで発見し(第10位)、その後、The Mookse and the Gripes Forum でも好評のようなので気になった。
Coetzee の作品を読むのは、2009年のブッカー賞最終候補作 "Summertime" [☆☆☆★] 以来だ。同書はあまり感心しなかった。レビューらしきものを書きはじめる前に読んだ "Disgrace" (99) や "Life and Times of Michael K" (83) のほうが、内容はすっかり忘れてしまったのに明らかにすぐれていると思ったものだ。
ノーベル文学賞というのは、全盛期を過ぎた作家の過去の功績をたたえるもの、という偏見がぼくにはある。これはあながち偏見ではないかもしれない。いまや政治活動しか眼中にないかのような、どこかの国の受賞作家など典型例。あ、いや、あの作家の場合、受賞したときはまだ現役バリバリだったのかな。
とうわけで、Coetzee にしても、本書に取り組むまでは "Summertime" あたりが下降線をたどりはじめた証拠かな、となんとなく思っていた。
ところが、それこそまさに偏見でしたね。この "The Childhood of Jesus" はいまのところ、じつに快調である! 例によってあとで大恥をかくのを承知で言うと、少なくともロングリスト入りは間違いないのではないか。
フシギな世界が舞台だ。公用語はなぜかスペイン語。パンが主食で、ほかに食べ物はクッキー、野菜や果物などだが、肉はいっさい口にできない。香辛料もない。人びとは善良で親切。
そんな街 Novilla に男が幼い少年を連れてやって来る。親子ではない。男は行方の知れない少年の母親を見つけだし、二人を引き合わせようというのだ。……中途半端ですが、ここで晩酌タイムとなりました。