ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Thomas Mann の “Confessions of Felix Krull, Confidence Mann”(2)

 ぼくが今まで英訳でふれたドイツ文学といえば、トーマス・マンのほか、カフカ http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20080424/p1ギュンター・グラス http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20080106/p1、そして『朗読者』だけ。まことにお恥ずかしい限りだが、このうち何冊かは夏に読んだ。とりわけ、トーマス・マンの長編はどれもかなり長いので、時間に余裕があるときでないと大変なことになる。その「成果」は昨年12月2日の日記にまとめている。http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20071202/p1
 その日記でも書いたことだが、トーマス・マンといえば、19世紀末から20世紀前半に至るドイツ国民の精神史を小説の中で描いた偉大な「国民作家」という印象が強い。言い換えれば、まじめもまじめ、大まじめな作家だと思っていたのだが、今回、"Confessions of Felix Krull, Confidence Man" を読み、ぼくの不勉強による先入観は一掃された。え、トーマス・マンはこんなピカレスク・ロマンもどきの本も書ける作家だったのか、と驚いたのだ。
 ぼくはふだん、小説の背景や作家の経歴など、面倒くさくてほとんど調べもせず、勝手な印象批評ばかり並べているのだが、この『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』は未完ということなので、新潮社版全集の「後記」を渋々読んでみた。すると、トーマス・マンが本書の執筆に際し、「私にはこんなところがあるのか、と時どき驚かされる始末です」という、兄のハインリヒ・マンに宛てた手紙が紹介されていた。してみると、本書はトーマス自身にとっても意外な側面を発揮した作品だったことになる。
 本書の着想を得たのが1906年で、第一章の執筆は1910年。それから40年の中断を経て、ようやく現在残っている部分まで完成したのが1954年。この間、『魔の山』や『ヨゼフとその兄弟たち』、『ファウストゥス博士』などが発表されている。つまりトーマス・マンは、本筋の「まじめな」大作を書くかたわら、それほど長い年月の間、本書の内容がずっと気になりつづけたわけであり、それを簡単に「ピカレスク・ロマンもどき」と片づけていいものか不安になる。
 …長くなったので、この続きはまた後日。