昨晩、出張先から帰ってきたが、疲れていたので日記を書く気にはなれず、おとといケータイで送信したぶんの字句を訂正しただけで寝てしまった。
順調に行けば本書は今日中に読みおわると思うが、相変わらず、あ、ここはたしか読んだ憶えが…という箇所がひとつもない。いくらマセガキでも中学生には早すぎた、ということだろう。
前回、「人物造形を通じて不倫の必然性を導く」と書いたが、本書におけるキャラクター作りは現代小説の場合とさほど変わらない。要は、いかにも不倫を犯しそうな人物としてエンマの性格や心理を描いているわけで、そういう一面の誇張、極端化がここには認められる。フィクションに登場する人物は、多少なりとも現実から離れているものだが、完全に遊離しているわけではない。現実と不即不離の関係を保ちつつ、不倫なら不倫という事件につながりそうな要素を強調する。ここではそんな人物造形の技法が駆使されている。
その結果、ボヴァリー夫人だけでなく、夫人と相思相愛の純情な青年や、夫人を手玉に取るプレイボーイの地主、凡庸な夫など、いずれもその役どころにふさわしい、絵に描いたような人物として登場する。あまりに典型的なので、現代の基準に照らせば陳腐とさえ言えるかもしれないが、読んでいて少しも気にならない。それどころか、その言動、心理がじっくり書きこまれているので相当な説得力がある。
筋立ても盤石だ。世界文学屈指の名作のことゆえ詳細は省くが、要するにメロドラマ。他愛もないと言えば他愛もないし、夫人と青年の恋物語にしても、夫人と地主の不倫にしても、いかにも型どおりの展開だ。これが現代の作品なら、どこかで見たり読んだりしたことがあるぞ…と言いたくなるところだが、何しろ本書は古典中の古典。こういう男女の関係を描いた小説の、少なくとも元祖のひとつではないだろうか。
一度は夫人と別れた青年が再登場してから話はがぜん面白くなる。結末は見えるような気がするが、それでもクイクイ読める。暑気払いにはもってこいだ。